かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

ファストアプローチ木幡育也が心を熱くさせる(6/8(土)競馬回顧)

多摩川S

全く馬券なんか買っていなかったが、画面の前で「育也残せ!」と叫んでしまった。痛快逃げ切り。ガッツポーズに熱くなった。人によって異論はあると思うが、これが競馬の醍醐味だと思う。

競馬っていうのは一番強い馬を当てるゲームじゃない。レースで何が起こるかを当てるゲームだ。安田記念アーモンドアイは負けたけど一番強いレースをした」そんなのは誰でもわかる。裏を返せば「一番強いアーモンドアイでもあっさり負けてしまう」のが競馬なのだ。意外とそういう発想に至らない人が多い。

馬券は買っていなかったが、穴馬を狙い続ける原点というか、そういう夢を見させてもらったレースだった。ありがとう育也。ありがとうファストアプローチ。前残りのクソレースと言ってる人がいるが、個人的に今日のベストレースはこれ。何度も言うが馬券は買っていない。

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天保山S

 

人気馬が前に行く馬ばっかりだったので乱ペースに期待してヒロブレイブとヌーディーカラーを買ってみたが外れ。平均ペースから前目で脚を溜めたヴェンジェンスとファッショニスタで決まってしまった。馬場が軽くなると、こういう追走指数が低くてスピード指数が高い馬が入ってくる。いいサンプルになったレースでもあった。

そんな中3着に入ってきたのは「上がり番長」ことスマートアヴァロン。これで31戦中30戦が上がり3位以内となった。ここ最近ズブさが出てきて追走がきつくなってきたかと感じ評価を落としたが、馬場が軽くなって追走がしやすくなったのが好走に繋がった。この馬に関しては私の中で以前までの「人気背負って飛ぶ追い込み馬」というイメージが付きすぎていて、それがいざ穴となった今回で狙えなかった要因にもなった。先入観は良くない。反省して今後に生かしたい。

馬券収支

東京3レースで◎クロヒョウが突っ込んできてくれてワイドを拾うことができた。5200円払い戻し(ゴーの除外でかなり安くなった)。7000円購入したので今日は負け。指数の算出を変えて初週。手探りだが負けも覚悟で攻めていきたい。それでは。

 

泥んこ大好き集まれ(6/8(土)競馬予想)

→かなり自信あり、→自信あり

ダート平場予想

 

全てのダートレースに関してコメントを入れてみた。馬場を見てから買い目は順次追加していきたい。ベタベタなのかサラサラなのかわからないと予想にならない。

阪神1レース

ダート未勝利ちゃんと見てる人ならわかると思うが、この時期の関西ダート未勝利は初出走やら初ダートの馬しか来ないので基本的に見送り。ダート使ってる組では人気どころが普通に強そう。

東京1レース

◎ミユキダイアモンド

前走の1.26.8(37.2)はなかなか優秀なライン。このメンバーなら威張れるのでは。

あとのダート使ってる組は軒並み低調。脚抜きがいい馬場になりそうだし、初ダートの馬が穴を開けそう。妙味がないので馬券としては見送りで。

阪神2レース

◎オーミシンゲン

距離を詰めて終いが生きるようになった。阪神の坂で前が止まれば。

〇ショウナンマンカイ

時計が一つ抜けている。

◎-〇馬連ワイド500円ずつ

東京2レース

◎アイルビーザスター

前走は追走に苦しみながらも目の覚めるような末脚で上がってきた(36.9)。2100に替わるのはかなりプラスだと思う。

〇アナザークイーン

相手は脚質的に考えてもこれで。初ダートとなった前走はラップが早くなったところで動く最悪の騎乗ながら見せ場タップリ。

ただこのレースもメンバーレベル的に低調で、初ダートの馬に割られそうな予感。ただアイルビーザスターのオッズは十分買えるラインなので勝負する。

単勝500円

◎-〇ワイド500円

阪神3レース

◎グッドヴィジョン

近3走11着、8着、9着で2番人気は頭おかしいのでは。ただ近走の敗因はどれも明確で、年末くらいの走りができればシンプルに上位。このオッズじゃ買えないが。

東京3レース

クロヒョウ

3走前がこのメンバーなら威張れるレースぶり。ベルゲンハーバー戦は差せないレースなので仕方ない。距離短縮の乱ペースで一発ないか。

相手をタイセイシャトルあたりにして馬連ワイド買ってもいいけど、敢えて狙うほどのオッズでもないかなという感じ。

追記)と思ったがオッズ結構つくので馬連ワイド500円ずつで。

阪神7レース

◎メイショウラッシュ

前走怪物級のパフォーマンスを見せたローザノワールには離されたが、この馬もかなりの好タイム。ここは頭堅いと思う。

〇テオレーマ

勝った未勝利の内容なら通用。和田さんなら迷わず逃げてくれるはず。

◎-〇馬連ワイド500円ずつ

東京7レース

◎プリモスペード

意外と人気しないので。

〇ラスベガステソーロ

こういう馬場は合う。

◎-〇馬連ワイド500円ずつ

東京10レース

◎メイショウササユリ

前走は位置取りが悪くいい脚を使うも4着まで。このメンバーならすんなり先団に取り付ける。

〇エルディクラージュ

人気だが、この馬場なら信頼できる。

◎-〇馬連ワイド500円ずつ

阪神11レース

栗東Sは逃げ馬2頭買ったら5万勝てる程度の前残り糞レースでおいしい思いをさせてもらった(過去記事参照)。その時物理的に差せなかった◎ヒロブレイブと〇ヌーディーカラーで行こうと思っていたのだが、脚抜きのいい馬場となるとこのメンバーで乱ペースになりそうもないしといったあたり。馬場見てから考えたい。

◎-〇馬連ワイド500円ずつ

阪神12レース

ローザノワール戦を評価して

◎ショウナンパンサー

の予定。人気だが。

相手が難しい。ケンで。

東京12レース

3歳馬が強そうだが、人気なのでケンで。

 とりあえず朝の段階では阪神2レース東京2レースで1000円ずつ勝負をし、馬場を確認したあと阪神7レース東京10レース阪神11レース阪神12レース東京12レースの買い目を出したいと思う。イレギュラーな形だが土曜だし雨なので。2000円~最大7000円勝負。それでは。

童貞は1000円カットに行け・夏

 

kaerun4451.hateblo.jp

 女は顔ではなく容姿で選ぶ

夏になるというのに彼女のひとつもできないという童貞どもがこの世にはたくさんいると思うが、そいつらはもっと女が男を容姿で選んでいるということを肝に銘じるべきである。ならば俺は容姿が悪いから無理だと諦めるやつがたくさんいる。だがそうではない。容姿とは顔ではない。もちろん顔もあるが、それ以上に顔以外の部分が重要になってくるのだ。一見チャラそうで女に不自由してなさそうにしている奴の顔を見てみるといい。高確率でおいでやす小田みたいな顔をしていることにお前らは気付くはずだ。

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 つまりイケてる系の顔のレベルとお前らの顔のレベルは大して変わらないのである。じゃあどこが違うのか。断言しよう。そのボサボサ頭だ。お前らのそのボサボサ頭をどうにかすれば、お前らもイケてる風になることができる。イケてる風になれば女が寄ってくる。そうすれば自分に自信が持てるし、童貞脱却も夢ではなくなるだろう。

なぜ1000円カットなのか?

この前も説明したが、髪を切るのに1000円払うにしても3000円払うにしてもクオリティはさほど変わらないということだ。問題なのは、お前らがどういったリクエスをするかだ。これで全てが決まってしまう。まあまずは近くの1000円カットに行け。QBハウスなら駅にあるだろう。

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行ったらリクエストだ。こないだは「ツーブロックにしてください」と言えと書いた。だが今回は趣向を少し変えてみようと思う。もうすぐ夏だ。夏に暑苦しい髪型は見苦しい。ここは「ソフトモヒカンにしてください」と言ってみろ。つべこべ言うな。言え。言えば横やら後ろやらからバリカンを入れられるだろう。気にするな。お前のそのボサボサ頭よりよっぽどマシに仕上がるはずだ。

ソフトモヒカンにすれば夏でも清潔感が保たれる。というのも、ツーブロックはある程度伸びると鬱陶しくなりやすい。耳にかかって汗で濡れると清潔感がなくなってしまうのだ。それを避けるためにも「夏はソフトモヒカン」だ。忘れるな。わかったらとっとと1000円カットに行ってこい。夏を越した時、お前らがもうこんなブログを読む必要がなくなることを祈る。それではまた明日。

 

勝負の一瞬を逃さない。山里亮太とアンネリース。

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「山里でも結婚できたんだから」という意見

 

昨日のSNS南海キャンディーズ山里亮太蒼井優の結婚の話題で持ち切りだった。中にはこんな発言も見た。

山里で蒼井優と結婚できるなら、俺クラスならアンジェリーナ・ジョリーと結婚できるよな?

それは違うなと思った。記者会見の蒼井優の発言にこうある。

「一緒にいて、しんどいくらい笑わせてくれる」「人に対しての感動することと許せないことのラインが一緒」「金銭感覚が似ている」「冷蔵庫をちゃんとすぐ閉める」「あと、やさしい」「仕事に対する姿勢が尊敬できる」

これを踏まえてお前らが本当にアンジェリーナ・ジョリーと結婚できるラインにあるか検証してみたいと思う。ここでは母団抽出はできないから、一旦私で検証してみる。

「一緒にいてしんどいくらい笑わせてくれる」

他人をしんどいくらい笑わせたことなど1度もない。これは無理だろう。

「人に対して感動することと許せないことのラインが一緒」

人に対して感動することがあまりないので一緒ではないだろう。

「金銭感覚が似ている」

芸能人と貧乏大学生の金銭感覚が似ているわけがない。

「冷蔵庫をちゃんとすぐ閉める」

これが一番無理。何が入ってるか見ないと何を取り出すか決められないだろう。

「仕事に対する姿勢が尊敬できる」

自分が尊敬されるような姿勢で仕事をするとは思えない。

これらのことから考えると、私は山里亮太以下である。少なくとも蒼井優のフィールドで見れば。知らんけどお前らもそうでは?だから、山里亮太蒼井優と結婚したからといって、お前らがアンジェリーナ・ジョリーと結婚できるとは限らないのである。

ただ、別のフィールドなら。別のフィールドならお前らがベストマッチングかもしれない。今回山里亮太がそうであったように。そう考えればお前らはアンジェリーナ・ジョリーと結婚できるかもしれないのだ。

アンネリース

山里亮太結婚のニュースを見て、こうも思った。勝負の一瞬を逃してはいけない。結局人生なんてチャンスを仕留めるか逃すかだ。これに尽きると思う。人間としての資質が高ければチャンスは多くめぐってくる。資質が低ければチャンスはそうはめぐってこない。少ないチャンスをものにする。生き地獄を抜け出すにはそれしかない。

そう考えていると1頭の馬が浮かんだ。

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 アンネリース。先日の安田記念の前のレースに出ていた馬だ。11頭中10番人気。外の人気馬が軒並み伸びあぐねる中、内からスルスルと抜け出してきて1着になった。山里亮太の結婚はいわばこういうレースに近いものかもしれない。確かに馬場も向いたかもしれない。展開も向いたかもしれない。ただ鞍上の丹内祐次勝負の一瞬を逃さず内を突いた。お前らは勝負の一瞬を迎えた時、アンネリース丹内のように迷わずインを突くことができるだろうか?私はこれからの人生でも常に勝負の一瞬を狙っていたい。いざとなったらインをこじ開けられるように。そして週末には勝負の一瞬を狙っている馬を買いたいのだ。見落とせば命取りになる。それではまた明日。

ヴィーガニズムを徹底的に排除しなければならない理由

 

 

hokusyu.hatenablog.com

これを読んでからこのブログを読むといいと思う。真逆のことを書いている。

ヴィーガニズム

 

 まずこの話をする前にお前らにはヴィーガニズムというものがどういうものか知っておいてもらう必要がある。説明はめんどくさいからwikiを貼っておく。

簡単に言えば絶対菜食主義だ。動物を食わずに植物だけを食って暮らす。まあどういう食生活をしようがその人の勝手なわけだが、それを他人に押し付けるという段階に至った時点でそれは「危険行為」であり「危険思想」だ。肉を食べるというのは人類に当たり前に許され認められている権利であり、それを侵害しようとする勢力は一刻も早く排除しなければならないと思う。

 

地球から愛される「食べ方」 この星を貪らない生き方「ヴィーガン・ライフ」入門

地球から愛される「食べ方」 この星を貪らない生き方「ヴィーガン・ライフ」入門

 

 

なぜ排除しなければならないのか?

冒頭のブログの筆者はヴィーガニズムを批判している人は、酒を飲まない奴が飲み会にいてはならないという信念を持つおっさんと同じ」という発言をしている。これは今のツイッターにおいては少し違うと思うヴィーガニズムを批判している人は、酒を飲まない奴は別に飲み会にいてもいいけど、酒を飲むなという奴は飲み会にいてはならないという信念を持つおっさんと同じ」だと思う。

別に我々は酒を飲まないことに対して文句を言っているわけではない(言っている人もいるだろうが少数派である)。「酒を飲ませない」ということに対して文句を言っているのだ。この「酒を飲ませない」という勢力を「放置」しておけば、やがてその勢力は大きくなり、現在人類に当たり前に与えられている「酒を飲む」という行為が禁止されるかもしれない。それを避けるためにも「酒を飲ませない」という声は早めに消しておく必要があるのである。少なくとも「酒を飲む」という層から見れば。

これを酒から肉に戻して考えてみよう。もし現在我々に与えられている「肉を食べる」という行為が禁止されたとしたら。困るだろう。肉が食べられなくなれば多くの人間が悲しむ。自殺者も出るかもしれない。失業者も大勢出る。肉を食べることを生き甲斐にしてる人がたくさんいる。いわば「ヴィーガニズム」のデモ行進は、その多くの「生き甲斐」を奪い取ろうと画策されたものと同じだ。それを排除しようとして何が悪いのだろうか?

だからむしろ今のツイッターの「反ヴィーガン熱」は加速するべきなのである。それが正常な世論であり、むしろそうならなければ肉の未来は危ういのだ。

冒頭のヴィーガンを擁護するようなブログ(申し訳ないが私は読んでいて気持ち悪くなった)がバズっていたのが気になったので書いてみた。もしこのブログの読者にヴィーガン支持者がいれば私はゴリゴリに罵倒されて然るべきなのだが、これが私の思想なので仕方あるまい。反論があるという方はぜひコメント欄へ。応戦しよう。それではまた明日。

追記)ちなみにこのブログの反論において動物愛護の観点を持ち出してくる人は必ずいるだろうが、私は別にヴィーガンの思想自体を批判しているわけではない(それを他人に押し付けようとデモ行進していることを批判している)ので、その批判は適切ではないというか本質ではない。

 

引きこもりを生かそうが殺そうが親の自由だ。

親の「死体」と生きる若者たち

親の「死体」と生きる若者たち

なぜ引きこもりを擁護する?

 

私は差別と偏見にまみれたちっちゃい人間であり、寛容な心を持ち合わせていない。だから最近の川崎殺傷事件から始まった一連の引きこもり擁護の流れに対して納得がいかないというか、違和感を感じてしまうのだ。

そもそも引きこもりというのは我々が飯を食べるために一生懸命働いている最中親の作った飯をタダで食べているわけで、それに対してズルいという感情を抱くのは至極当然のことではないだろうか?確かにその人が引きこもりになった要因というのはその人自身にはないのかもしれないし、この生き地獄の世の中では社会を遮蔽したくもなるような出来事も多く起こるだろう。だからといって引きこもりを擁護しようということには絶対にならないと私は思うのだ。奴らは少なくとも我々から見れば絶対的にズルいというかセコい人種であり、我々社会の「中」にいる人間から軽蔑され罵倒されても文句は言えない立場にあるのだ。

非生産的な個体

 

いわば引きこもりは非生産的な個体であり、自然界において生産的な個体が非生産的な個体を淘汰(時には殺害、共食いなど)をするというのはよくみられる現象である。人類においても普遍的にそれが起こってもいいと私は思うのだが、人類の、特に日本人に関しては、家族というコミュニティが強固に存在する関係上、必然の淘汰から「親」が非生産的な個体も保護するという事象が発生してしまうのである。これによって、非生産的な個体を淘汰するかしないかの決定権は、「生産的な個体」から「親」へと譲渡されたのである。

親は決定権を持つ

親は非生産的な個体を作り出してしまった責任を負うことになる。子供は自分が産まれた責任を親に求めてもいいし、親以外に求めてもいいわけだが、親は子供を産んだ責任を必ず背負わなければいけない。

もし自分が産んだ子供が非生産的な個体になってしまったとして、それを生かしておくべきか殺してしまうべきか。それはあくまで自然の法則に従えば、親の「自由」ということになるのではないかと私は思う。だってその非生産的な個体は社会の「中」にいる我々にとっては関連することができないもの(川崎殺傷事件のように間違って社会に紛れ込むこともあるが)であり、関連できる親には適切な処理を施す「必要」があると思うからである。私はその処理が、飯を食わせることであってもいいと思うし、例え「殺害」であってもいいと思う。親が「危険」と判断したら殺せばいいのだ。そして我々にその行為がどうであったかを批評する権利はない。この場合の「殺害」は世間一般における「殺害」とはニュアンスが大きく異なる。後者は「駆逐」を指し、前者は「淘汰」を指すからだ。

つまり、引きこもりを生かそうが殺そうが親の自由なのである。本来そこに法の裁きが下るべきではない。少なくとも私はそう思う。お前らがどう考えるかは知らないが、これに関して私の認識が変わることはないと思う。だからあの引きこもりの息子を殺した爺さんに対して、もっと「称賛」する声が上がってもいいと思う。ただ「称賛」すれば確実に炎上すると思うが。それではまた明日。

 

いや、運動会は必要だ。

 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 こんな記事がバズっているのを見つけた。これに関しては意見が二分されるんじゃないかなと思う。学生時代運動会が好きだった人間は運動会は必要だと言うだろうし、運動会が嫌いだった人間は運動会は必要ないと言うだろう。そこに両者が納得して妥協できるような答えはない。

この記事の主旨は「運動会をやらない」という学校が出てきてもいいのではないか?というものだった。私立の学校に関してはいいと思う。運動会をやりたくない子供は当然多くいるわけで、そういう子供の受け皿になるような学校はあってもいいと思う。ただ公立の学校に関しては子供側が学校を選べないわけだから、学校ごとにやるやらないかが分かれているというのはよくない。さすれば運動会はやるべきだ。私はそう考えている。今から理由を書いていきたい。

例えばお前らの息子が勉強が苦手で運動が得意だったとしよう

現代の学校とは勉強する場所だ。子供たちは学校に行くと、ほとんどの時間を勉強に費やすことになる。だが私は、学校とは「教育を受ける場所」であるべきだと思っている。教育とは勉強だけではない。だから勉強以外の「行事」が必要なのである。その「勉強」や「行事」の中で、子供たちの「長所」を伸ばし、「短所」を克服させる。これは学校の存在意義の1つであり、役割だと思う。

 

双頭の鷲の旗の下に

双頭の鷲の旗の下に

 

 

当たり前だが、子供たちの「長所」「短所」は個々それぞれ異なる。勉強が得意で運動が苦手な子供もいれば、勉強が苦手で運動が得意な子供もいるだろう。ここでさっきも書いたが、現代の学校は勉強する場所だ。だからどうしても普段の活動において、勉強が得意で運動が苦手な子供に「バイアス」というか「ハンディ」がかかってしまうのである。その「バイアス」を平坦化させるのが「運動会」という行事だ。運動会はそのために必要なのである。

もしお前らの息子が勉強が苦手で運動が得意だったとして、その息子は運動会を楽しみにしているだろう。普段は他のクラスメイトに対して劣等感を抱いているが、運動会ではそいつらを見返すことができる。それがいきなり運動会がなくなりますと言われたらどうだろうか?息子は悲しむ。お前らは運動会を無くすことに反対するだろう。つまりはそういうことだ。「運動会」にはそういう側面からの需要が根強くあるということを忘れてはならないのだ。

 

天国と地獄 運動会のテーマ ORIGINAL COVER

天国と地獄 運動会のテーマ ORIGINAL COVER

 

 「運動会」で長所を発揮できる子供もいれば、「学芸会」で長所を発揮できる子供もいる。当然「普段の授業」で長所を発揮できる子供もいるだろう。その逆で、「運動会」が苦手な子供もいれば「普段の授業」が苦手な子供もいるのだ。この時点で「運動会」のみを「必要がない」と議論するのは間違いなのでは?私はそう感じてしまう。確かに「運動会」のデメリットはいろいろあるのかもしれないが、それを言ってしまったら他の学校行事のアレコレにだっていろいろなデメリットがあるわけで、そのデメリットだけを取り出して議論を進めるのはナンセンスだ。

ナンセンスで間違っている議論をすることはできない。そういうわけで私は運動会は必要だと思う。お前らの意見はいかほど。それではまた明日。