かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

いや、運動会は必要だ。

 

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 こんな記事がバズっているのを見つけた。これに関しては意見が二分されるんじゃないかなと思う。学生時代運動会が好きだった人間は運動会は必要だと言うだろうし、運動会が嫌いだった人間は運動会は必要ないと言うだろう。そこに両者が納得して妥協できるような答えはない。

この記事の主旨は「運動会をやらない」という学校が出てきてもいいのではないか?というものだった。私立の学校に関してはいいと思う。運動会をやりたくない子供は当然多くいるわけで、そういう子供の受け皿になるような学校はあってもいいと思う。ただ公立の学校に関しては子供側が学校を選べないわけだから、学校ごとにやるやらないかが分かれているというのはよくない。さすれば運動会はやるべきだ。私はそう考えている。今から理由を書いていきたい。

例えばお前らの息子が勉強が苦手で運動が得意だったとしよう

現代の学校とは勉強する場所だ。子供たちは学校に行くと、ほとんどの時間を勉強に費やすことになる。だが私は、学校とは「教育を受ける場所」であるべきだと思っている。教育とは勉強だけではない。だから勉強以外の「行事」が必要なのである。その「勉強」や「行事」の中で、子供たちの「長所」を伸ばし、「短所」を克服させる。これは学校の存在意義の1つであり、役割だと思う。

 

双頭の鷲の旗の下に

双頭の鷲の旗の下に

 

 

当たり前だが、子供たちの「長所」「短所」は個々それぞれ異なる。勉強が得意で運動が苦手な子供もいれば、勉強が苦手で運動が得意な子供もいるだろう。ここでさっきも書いたが、現代の学校は勉強する場所だ。だからどうしても普段の活動において、勉強が得意で運動が苦手な子供に「バイアス」というか「ハンディ」がかかってしまうのである。その「バイアス」を平坦化させるのが「運動会」という行事だ。運動会はそのために必要なのである。

もしお前らの息子が勉強が苦手で運動が得意だったとして、その息子は運動会を楽しみにしているだろう。普段は他のクラスメイトに対して劣等感を抱いているが、運動会ではそいつらを見返すことができる。それがいきなり運動会がなくなりますと言われたらどうだろうか?息子は悲しむ。お前らは運動会を無くすことに反対するだろう。つまりはそういうことだ。「運動会」にはそういう側面からの需要が根強くあるということを忘れてはならないのだ。

 

天国と地獄 運動会のテーマ ORIGINAL COVER

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 「運動会」で長所を発揮できる子供もいれば、「学芸会」で長所を発揮できる子供もいる。当然「普段の授業」で長所を発揮できる子供もいるだろう。その逆で、「運動会」が苦手な子供もいれば「普段の授業」が苦手な子供もいるのだ。この時点で「運動会」のみを「必要がない」と議論するのは間違いなのでは?私はそう感じてしまう。確かに「運動会」のデメリットはいろいろあるのかもしれないが、それを言ってしまったら他の学校行事のアレコレにだっていろいろなデメリットがあるわけで、そのデメリットだけを取り出して議論を進めるのはナンセンスだ。

ナンセンスで間違っている議論をすることはできない。そういうわけで私は運動会は必要だと思う。お前らの意見はいかほど。それではまた明日。