『悪口見るのが嫌ならネットやSNSを見るな』というのは正気で言ってるのかね?
— 武井壮 (@sosotakei) 2019年12月12日
ネットもSNSも今や特別でも最先端でも一部の人達の遊び場でもない。誰もが使う文化のひとつだ。
それを『人を貶す』という言葉の暴力を平然と行使する一部の人間のために使えなくなるなんておかしいだろ?
なんで職場や学校などでのハラスメントは問題視されて処分されるのに、ネット上で知人や見も知らぬ特定の人間を侮辱や中傷したりしつこく攻撃する事は当たり前みてえな空気なんだ?
— 武井壮 (@sosotakei) 2019年12月10日
お前ら街で人にいきなり暴言吐かれたり殴られたらどうだ?苦しんで死ぬ人もいるならもうネット上のお遊びじゃねえぞ!
武井壮氏がこんなツイートをしていたので拾ってきました。ネット上の誹謗中傷というのは現代社会において1番と言っていいほどホットな問題だと思いますし、影響力のある人物がこうやって大々的に提起するというのは非常に意義のあることだと思います。
しかしそれですぐネットやSNSでの誹謗中傷が無くなるかと言われると、それは「無くならない」と断言できると思います。「ネット上で知人や見も知らぬ特定の人間を侮辱や中傷したりしつこく攻撃する事は当たり前みてえな空気」は今後も長く蔓延るのではないでしょうか。SNSやネット社会は急速に発展してきましたが、急速すぎたがゆえにまだ「不完全」です。使用する側の我々はそのことを肝に銘じておかなければなりません。
その不完全さゆえに、コンテンツ力を持つ人間はほぼ100%ネット上での誹謗中傷を受けます。SNSを始めようものなら罵詈雑言が飛んでくるのは当たり前です。武井氏は『「悪口見るのが嫌ならネットやSNSを見るな」というのは正気で言ってるのか?』と論じていますが、現状のネットやSNSのクソみたいな治安を見る限り間違った意見とはいえない側面もあると思います。いわば「日本人が拘束されるリスクが極めて高いからシリアには行くな」と同じことです。「誰もが使う文化のひとつ」には将来的になればいいとは思いますが、現状「誰もが使う文化」にしては欠陥がありすぎるのではないでしょうか。こういった治安の悪さへの耐性やスルースキルを持たないコンテンツ力を持つ人間は、SNSやネットをやるべきではないと言えるでしょう。例えばこの人とか。
日本には読解力の無い人が5000万人くらい居るとは分かってるけど、このツイートにアーモンドアイ贔屓の豚死ね的なリプライ来てげんなりしつつブロック。ちなみにシルシは▲か⭐を予定。
— 須田鷹雄(商店) (@sudatakaoshoten) 2019年12月11日
勝手な妄想ベースでアヤつけられるのは防ぎようがない。俺も小堺君みたいに好かれるだけの人生送りたかった…… https://t.co/WgyhpXycPB
それと武井氏は「なんで職場や学校などでのハラスメントは問題視されて処分されるのに」と前置いていますが、ネット上で誹謗中傷を書き込むような人間って職場や学校でハラスメントを受けている側の人間が多いんですよね。言わばネット社会が捌け口となっているというのが現状です。そこら辺がまた難しいところで、結局ネット上の問題はネット上だけの問題ではないという部分もあると思います。もし社会全体の閉塞感がネット上の治安の悪さとして出てきているのであれば、ネット上の規制を強くするだけでは本質的な解決にはならないのではないでしょうか。
情報を発信する側には常にリスクが伴います。ツイッターで過激な発言をしている芸能人が幸せになった例は見たことがないですからね。
今日はここまで。2019年も残りわずかとなりました。最後、いい1年だったと言えるように頑張っていきましょう。それではまた明日。