かえるん日記

#ダートは追走能力

どう考えても意識が低いほうが生きやすい件

遅くなったが給料日の総集編を書きたい。ブログを始めて4か月。これが200個目の記事になる。中には社会論、ジェンダー論、教育論など若干意識の高い記事も書いた。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 

 

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だがどうも性に合わないというか。どこかにボロがあるというか。どうもしっくり来ない感があった。それもそうだろう。私は意識の高い人生を送ってきていない。この23年間、私の意識が高かったことはない。確かにいい高校に入ったし、いい大学にも入った。あと少しで甲子園というところまでも行った。努力は自分なりにしたが、やはりどこか意識が低かった。だから私はもっと意識の低い記事を書くべきだと思った。意識の低い文字列を羅列したほうが人に伝わるのではないだろうか。そう思った。ちょっとやってみたい。

 

jollynap.hatenablog.com

 ほとんどの人間はチームに所属している。家族もそうだし会社もそうだ。大小の違いはあれど、それは1つのチームである。そのチームの中で自分が上の存在か。それとも下の存在か。それは人それぞれあるだろう。ただ、上の存在でありたいか下の存在でありたいかについては、きっとほとんどの人間が潜在的に上の存在でありたいと錯覚しているはずだ。会社員はみな昇進するために頑張っている。私はこれに疑問を呈したい。

個人の過失は個人が責任を負えばいいが、チームの過失はチームの上の人間が責任を負うことになっている。私は責任を負うのが嫌いだ。なるべく責任を負わないようにして生きてきた。だからチームの中で上に立とうとしなかったし、自分が上の存在になるであろうチームには所属しなかった。

経緯を説明したい。私は何を血迷ったか中学校の野球部でキャプテンをやっていた。もちろん立候補なんかするはずもない。指名されて仕方なくやった。生きずらかった。私はチームの一番上に立つ器ではなかった。多くの人間が私を規範として私の指示で動く状況には耐えられなかった。この時に私は誓った。一生下っ端で生きよう。私はむしろ下っ端のほうがチームに貢献できる人間だ。そう考えた。責任を負わずにただ指示されて動くほうが私には合っているし、おそらくそのほうがチームにとっても有益である。こういう発想に至った時、私の意識は沼の底に沈んだ。そして今も浮き上がる気配はない。

私がチームの上の存在になろうという潜在意識を意識的に取り払ってからというもの、私は生きやすくなった。意識は圧倒的に低くなったが、自由度が圧倒的に高くなった。下っ端とは自由なのである。「指示されるんだから自由がない」とお前らは言うかもしれない。ただ、選択肢が無いというのは自由そのものだ。考える必要がない。脳が解放される。意識が低いほうが自由だし生きやすいのだ。逆に選択肢がありすぎるのは不自由だ。極限の自由とは極限の不自由であり、無限領域でそれらは調和するのだ。

日本人はもっと意識を低くするべきだ。上に上にでは考えが凝り固まって自由が無くなってしまう。このご時世に上を目指したって仕方がない。みんなで下を目指そうじゃないか。下に下にの考え方は自由をもたらす。自由は沼の底に眠っている。潜らなければ掴めない。必要なのはプライドという足かせを取り外すこと。あとは無欲という酸素ボンベを身に着けることだ。浅瀬で陸に上がろうともがいてたって始まらない。ストレスが溜まるだけだ。目指すべき場所は下にある。

意識の低い文字列の羅列はどうだっただろうか?私はこういう文章のほうがしっくりする。ネガティブと言われればそうかもしれない。悲観的と言われればそうかもしれない。でも身の丈にあっていると思う。だから調和的だ。結局意識の低い人間は意識の低い文章しか書けないのだ。そんなことを頭の片隅に置きつつ、明日からまたブログを書いていきたい。ともに来月の給料日まで頑張ろう。それではまた明日。