かえるん日記

#ダートは追走能力

仕事をするうえでは履歴書は悪いほうがいい。

 

anond.hatelabo.jp

 こんなエントリーを見た。この文章は一見「引きこもり」の立場から「社会」を批判しているように見えるが、中身はただの「引きこもり」批判である。まあ読んでみればわかる。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 前にこんな記事を書いた。ひとことでまとめると「学歴」は「努力できるか」の判定基準になるから人事に使う指標としては概ね合理的である。てな感じの内容だったと思う。一方で「勉強できる」は就職に使うステータスであり、仕事には「仕事できる」というステータスが必要である。とも書いたような気がする。

「勉強できる」からといって「優秀」とは限らない

私はスーパーでバイトをしているが、周りの学生バイト仲間はFラン私立の連中ばっかりなので一応私が学歴的には一番上ということになる。なので社員さんやパートのおばちゃんから「頭いい」「優秀」と言われ無駄にハードルを上げられていた(初期の頃は)。ただ実際にバイトをしている私はどうかというと、接客対応でくだらないクレームをもらったこともたくさんあるし、野菜を冷蔵室に入れ忘れて大量に腐らせたこともあるし、遅刻してクビになりかけたこともあるし、売り場にトマトをこぼして血の海にしたこともある。とても優秀とはいえない(包丁さばきにはかなり自信があるのでカットフルーツを作るのは速いかもしれないが)。

どうも世間一般の方は「高学歴=優秀、頭良い」というイメージを持っているようで、私もそのイメージと自分のステータスとのギャップに苦しんだ(私が苦しんだというより周りが苦しんだか)。私の例で容易にわかるように、もちろん「勉強できる」というのは「優秀、頭良い」には繋がらない。ベクトルが違いすぎる。「勉強できる」というのは、いわば脳のインプットの能力が高いということであり、「優秀、頭良い=仕事できる」というのは、いわば脳のアウトプットの能力が高いということである。私は脳科学者じゃないので詳しいことはわからないが、そこに明瞭な正の相関関係がないことは確かである。

 

仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?

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 現状「勉強できるのに仕事できない奴」は不当に苦しむ

現状、「勉強できる」とハードルが上がるのだから、「勉強できるのに仕事できない」奴は不当にプレッシャーを受けて苦しむことになる。学歴社会という性質上ある程度は仕方ないことかもしれないが、この風潮をもう少しなんとかできないかと個人的には思っている。

仕事のスタートの際、周りの評価はフラットではない。「履歴書」と「第一印象」において「こいつは仕事できそう」「こいつは仕事できなさそう」といったようなバイアスがかけられ、そこにハードルの差が生まれてしまうのだ。

だったら「履歴書」と「第一印象」を悪くすればいいじゃないか。課せられるハードルは下がり、だいぶ気持ち的には楽になるとお前らは言うかもしれない。だがそれをすると、今の学歴社会においては就職することが困難になってしまう。ここに永遠に解決することのないジレンマが生じるのだ。引きこもりの多くはこういったジレンマが原因で生じていると思う。冒頭のエントリーを書いた自称「引きこもり」も、「履歴書」がもう少し悪ければ。あるいは引きこもりになっていなかったのかもしれない。

「履歴書」と「ステータス」のギャップを無くすために

「履歴書」と「ステータス」のギャップを抱えている人は多いと思う。このギャップを無くすにはどうすればいいか?これについて持論を言うと、重要なのは「自分を良く見せようとしない=ニュートラルな自分を見せる」ことだと思う。結局このギャップを無くすには「履歴書」を悪くするか「ステータス」を良くするかしかないのだ。ところが、多くの人間が「ステータス」を良くするほうにベクトルを振り切ってしまう。私に言わせれば、それは「自由」じゃない。「履歴書」を程よく悪くし、出来る範囲で「ステータス」を上げていく。そのバランスが自由な人生にとっては必要になってくると思うのだ。学歴が高い奴は履歴書を良くしようとしすぎる傾向がある。「見栄を張る」というのは嘘の一種であり、嘘は破滅しか生まない。

 

 

その履歴書を黒く塗りつぶせ

それではまた明日。