かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

マジレス系クソリプとMDMAはやっちゃダメ。

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この世の中にはやっちゃいけないことが2つありますね。

1つ目はMDMA。これはダメですね。直接的に他人に危害は加えてないという意見もありますが、いつ精神的にイカれて他人に危害を加え始めるかわかりません。バレて逮捕されれば周りに迷惑をかけることにもなります。絶対にやってはいけないでしょう。

2つ目はマジレス系クソリプですね。

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出典: http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/f/d/fdc1ed75.png

クソリプにもいろんな種類はありますが、その中でも最もやっちゃダメなのがマジレス系クソリプになります。一見ツイート主の勘違いや知識不足を補完したり訂正したりする有能なリプのように見えてしまいがちですが、そもそも人の意見を訂正することなんてできるのでしょうか?本来訂正していいのは事実だけであり、意見はあくまで意見として成立しているのではないでしょうか?そこら辺は明確に区別すべきだと感じます。

kaerun4451.hateblo.jp

 意見はあくまで「思ったこと」です。「私はこう思っている」に対して否定的な感情を示すのであれば、「いえ私はそうは思いません。こう思います」という風に返すのが筋でしょう。しかしこのマジレス系クソリプは「私はこう思ってる」に対して、「あなたの思っていることは違います。こう思うべきです」というニュアンスで返しているのです。これがクソたる所以ではないでしょうか。その人がどう思うかは自由ですし、それが正しいか正しくないかは見方によって変わってきます。にも関わらず、まるで自分の意見が正しくて相手の意見が正しくないかのようにリプライを行う。だからおかしくなるのです。

ツイッターで「平和な意見交換」が行われず、「泥沼の罵倒合戦」ばかりが行われてしまうのもそれが原因と思われます。両者ともに自分が正しいと思っているため妥協点が見つからず、当然議論も平行線を辿ります。平行線を辿ればまだいいほうで、酷い時はより文章力のあるほう、より頭の回転が速いほうが圧勝してしまうこともあります。当然負けたほうは自分の思っていることを思っていないことにされてしまうわけです。そうして形成された意見に「正しさ」はあるのでしょうか?

そもそもツイッターには、「自分が正しい」と思い込んでいる輩が多すぎます。私もツイッターやブログに意見を書きますが、「正しいことを書いている」と思ったことは1度もありません。「思ったことを書いている」だけです。当然それが「概ね正しい」という時もあるかもしれませんが、「完全に正しい」ということは絶対ないでしょう。物事はいろんな角度から見ることができます。見方次第で「正しい」か「正しくない」かは変わってくるのです。当然時間経過によっても変わるでしょう。これは全ての「意見」に対して言えることではないでしょうか。

だから意見に異論を唱える際は「あなたはそう思うかもしれませんが、私はこう思います」というような対等なスタンスで行うべきですし、決して「訂正」するような口調で行ってはいけないということです。ここだけ注意すればマジレス系クソリプにはならないと思いますし、まずは「自分が全て正しい」という考えを改めること、「意見」は「意見」として成立してしまうということを認識することが重要になってくるのではないでしょうか。

 

少なくともツイッターという欠陥アプリケーションを使いこなすには、かなり高度な技術が必要ということです。それではまた明日。