かえるん日記

地方馬がダービーを制す

今日もリスクのない最高の博打を。

神戸新聞NEXT|全国海外|社会|作業員が誤って鉄パイプ落下か

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生きるか死ぬかはほぼ博打

「事故死」っていうのは起こるもので、いつ自分の身に降りかかるかはわからない。「病死」に関してもそうで、今日の段階ではいたって健康だったとしても、明日何かの拍子で急に心臓が止まるかもしれない。世の中の「自殺」と「殺人」以外の生死は全て「博打」で成り立っていて、毎日博打に勝ったものが生き残り、博打に負けたものが死んでいく。今日も生きて寝床に入ることができれば、それは博打に勝ったということなのだ。

博打≠運ゲー

言うまでもないが、「博打」が完全に運ゲーであるかと言われるとそうではないと思う。いかに少ないリスクで高いリターンを勝ち取るか、それを少なくとも考える必要があるし、勝ちに向けて試行錯誤を重ねる必要もある。

こういうことを書くとおそらく今のご時世では炎上するんだろうが、頭から鉄パイプが落ちてきて死んだ人は工事現場のそばを歩かなければよかったわけだし、救助ヘリから落ちた人も早めに避難しておけばよかった。「通り魔」やら「歩道にトラックが突っ込んできた」やらは完全に運ゲーだが、少なくとも運ゲー要素にならない部分はたくさんあるだろう。

そこら辺はギャンブルと同じで、100%未来を予測して100%勝つというのは到底不可能である。「絶対当たる」「確実に勝つ」等の文言はその時点で詐欺だし、それは「突然背後からナイフを持って迫ってきた通り魔を察知してナイフを奪い取る」のと質的には同じなのだ。ただ100%は無理でも、それを99%→100%に漸近させることができるのが人間である。だからラッキー、アンラッキーで一喜一憂する必要はないし、どんなに悲惨なことが起こったとしても夜無事に布団に入ることができればそれで勝ちなのだ。だから人生はどんなギャンブルよりも易しい。ベリーイージーなのである。そう思わないとやってられないこともあるでしょう。

明日死ぬかもしれないから今日を楽しむというのも悪くはないが、今日死なないために今日を努力するというのも案外悪くはないのかもしれない。

しょうもないけれど最高の朝が来る。博打に参加できる喜びを噛み締めて。それではまた明日。

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