かえるん日記

地方馬がダービーを制す

日本における貧困って、もはや怠惰なのでは?

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こういう記事を書くと「弱者を叩くのは楽しいか?」などと言われそうですが、私は器の小さい人間なので、「弱者を過剰に擁護することによって自分たちが不利益を被るならそれは叩くべき」と考えています。他方面からは、「お前は貧困になったことがないからわからないんだ」と声を荒げて言われるかもしれませんが、まあそうです。あくまでも意見として読み流してください。私は指摘されている通り若干の差別主義的な思想を持ってますし、義理や倫理は受け付けません。

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作家の橘玲さんが書いた評論を持ってきました。考えさせられる記事なのでぜひ読んでみてください。その中でサッチャー首相の有名な演説が紹介されていたので、抜粋したいと思います。

「今日、この国に根本的な貧困は存在しません。西欧諸国に残っているのは貧困以外の問題です。たしかに、貧困らしきものはあるかもしれない。それは予算の立て方や、収入の使い途を知らないからです。しかし、いま残っている問題は、個人のごく基本的な性格の欠陥だけです」

これはイギリスの話ですが、社会体系的に日本の貧困に関しても同じことが言えるのではないでしょうか。確かに日本にも貧困らしきものは多く存在しますが、それが全て本当に「貧困」と言えるのでしょうか?本当の悪運、正当な事情によって貧困から抜け出せないという人はほんの一部なのではないでしょうか?私はそう感じます。

 

何が言いたいかというと、この国には「多少の努力をすれば貧困から抜け出せる」だけの制度が整っているということです。生活保護はその「多少の努力」をさらに小さくするためのものです。これだけ恵まれた社会体系に生きていて、「働き方がわからない」という言い訳は通用しないのではないでしょうか。その「多少の努力」をせず、ただ自分の怠惰によって生活保護を受給し続ける。そういった人間に対して我々は、もっと「なんで俺たちは汗水垂らして一生懸命働いてるのに、サボって働かないお前が無償で金を貰えるんだ」と声を上げるべきだと思います。社会主義時代に実証されましたが、人の「努力指標」を均質化してしまうと、社会全体に停滞が起こります。こういった「怠惰による貧困」を厳しく取り締まり、もっと生活保護に関して議論すべきではないでしょうか?

命の価値は平等とよく言いますが、本当に平等だと思っているならみなさん頑張ってないでしょう。我々は命の価値を上げるために生きています。頑張りが正当に評価されないなら抗議すべきでしょう。それではまた明日。