かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

私は生きるために二郎を食うのではない。死ぬために二郎を食うのだ。

 二郎のすすめ

二郎のアンチが一定数いる。あんな脂っこいものを食えるはずがない。食べたら健康に悪い。そんなことを言うやつが後を絶たない。だが考え方を変えてほしい。お前らは生きるために二郎を食おうとしている。だから嫌悪感が生まれるのだ。死ぬために二郎を食えばいい。二郎は我々を殺してくれる。二郎を食べれば確実に死に近づくことが出来るのだ。二郎ラーメンに関してはダイエット関連の記事も出しているから併せて読んでみてほしい。

kaerun4451.hateblo.jp

 死ぬために食うという考え方

食べることというのは生きるためにする活動、つまり生理活動であるという考え方が根強く浸透している。だからこそ人々は食事に生きることを求めすぎてしまうのだ。食べることで健康を維持する。栄養素のバランスが取れたメニューを心掛ける。暴飲暴食に注意する。生きるための食事としてはそれがベストかもしれない。

 

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

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しかしそれでは食事という行為に自由がないじゃないか。もっと食事に自由を。そのためにも「死ぬために食事をする」という考え方が必要になってくるのである。食べることが死に近づくことであれば、当然1食1食の重みが変わってくる。1食1食を噛みしめることができるようになる。味に対する意識も変わる。食べ物を粗末に扱ったりしなくなる。寿命をすり減らして食べるのだから当然いい物を食べなきゃいけなくなる。そういう発想に近づくことが出来た時、はじめて二郎ラーメンの重要性にお前らは気付くはずだ。二郎ラーメンには死ぬための食事の全てが詰まっているのだ。

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寿命を伸ばすために時間を使う

よくテレビではこうすれば寿命が伸びる、死なないためにこうするべきだなどという決まり文句で健康番組が放映されている。当然視聴率もいい。だが私はこれに全面的に異議を唱えたい。寿命を伸ばすために時間を使うくらいなら今の自分のために時間を使ったほうがいいじゃないか。いくら寿命を伸ばそうと努力したところでいつ死ぬかわからないのだ。私は自分の寿命を信用していない。だからとにかく悔いを残したくないのだ。だから寿命を伸ばすためなんかに時間を使いたくないし、無論労力も使いたくない。だからどんなに健康に悪かろうが二郎を食うのだ。悔いを残さないために生きることと自由に生きることは一見矛盾しているように見えるかもしれない。ただ生活に自由があれば悔いは残らないと思うのだ。縛られて生きていては必ず後悔する。やりたいことをやればいい。自由だった少年時代を思い出せ。バカみたいに空が綺麗だったはずだ。

とにかく二郎は旨い。旨いものを食え。そして死ね。躊躇するな。それではまた明日。