かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

さあ今こそ銃を持て

銃のない社会の是非を問う

銃を持つべきか持たざるべきかは賛否両論分かれるところだ。どっちがいいかは断言できないだろう。二面的に見るべきだという意見は十分理解したうえで私は銃を持つべきだと思う。自分の身は自分で守るべきだ。よく銃乱射事件が起こるたびに銃が批判されるが私にはわからない。悪いのは銃ではない。人だ。人が悪い。なのに銃が全て悪いみたいな論調で語られる。犯人がどういう子供時代を過ごしたかとかよりも銃の入手経路とかにスポットが当たることもある。

銃を規制しようが規制しまいが銃を乱射するやつは銃を乱射するのだ。銃を乱射しない人間である我々は別に銃を持っていても銃を乱射しないのだ。だったら緊急時に持っておいたほうがいい。事故の危険性があるからそれでもダメだと野暮な意見を言うやつもいるかもしれないが、しっかり手入れをしていれば未然に防げるだろう。子供の目の届かないところに保管しておけば不慮の事故も防げるだろう。

 

銃社会アメリカのディレンマ

銃社会アメリカのディレンマ

 

 銃を撃てる人間の必要性

まずはこのwikipediaを読んでみてほしい。有名なwikiなので読んだことある人も多いと思うが、お前らはこれを読んでどう思うだろうか。ただ怖い、恐ろしいと思うだけだろうか。これはもっと深い文章だ。この事件からいろんなことの本質が見えてくる。

私がこの事件から取り上げたい人物が1人いる。山本兵吉。熊を撃った男だ。アイヌマタギではない。屯田兵の家系のマタギだ。

純日本人的な思想を持っていたはずの彼が300匹もの熊を撃った。言うまでもないが今の日本には山本兵吉のような人間が枯渇している。山本兵吉のように困難にも勇敢に立ち向かう人間が枯渇しているのだ。

山本兵吉は荒くれ者だったと言われている。酒に酔っては人を殴る。当然そのような人間は敬遠される。三毛別事件の時も警察隊は散々警察沙汰に関わってきた兵吉を頼ろうとはしなかった。だが最終的には兵吉に頼らざるを得なかった。兵吉に頼らなかったらどうなっていただろうか。きっとさらなる死者が出ていたに違いない。人はすぐ日常の素行で人を判断しようとする。だがその人間の本質が見て取れるのは非日常の事態に陥ったときだ。

日本人は当たり障りのない言動や行動をする人間を評価する民族だ。だがこの国に本当の危機が訪れたとき、日本を救うのはいざという時に行動できる荒くれ者だと思うのだ。そういう人間が枯渇しているし、そういう人間を淘汰する動きが今の日本にはみられる。SNSでも刺激的な発言をするやつはすぐ排除される。当たり障りのない人間が当たり障りのない発言をしてもてはやされている。これが今の日本だ。これでは緊急時に対応できない。例えば災害のとき、自衛隊が来る前に先陣をきって住民を誘導できる人間がお前らの周りにいるだろうか。あるいは自分がそういう行動を取れるだろうか。山本兵吉のように、勇敢に銃を取れる人間はいるだろうか。あるいはお前らがそうあれるだろうか。考えてみてほしい。こんな時代だからこそ銃を手に取るべきなのではないだろうか。私はいざという時に銃を持てる人間でありたい。それではまた明日。