かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

金持ちが競馬をやって何が楽しい?

柄にもなくYouTuberの話をする

1レース何百万もぶっこんで当たっただの外れただのやってるYoutuberがいると聞いたので見てみたがなかなか面白い。動画の構成が良くて見ていて飽きないし、意外と予想の方策というか軸もしっかりとしていて自分の予想と照らし合わせて考えることもできる。なにより賭けてる額がすごいので見ていてワクワクする。競馬に視点を向けた動画コンテンツとしてこれほど面白いものははじめてかもしれない。お前らも1度見てみてはどうだろうか。少なくとも競馬予想TVよりは見れるだろう。

 


【競馬予想】頭別格!単勝500万勝負の2019年桜花賞最終見解

嫉妬とか僻みとかは貧しい考えはやめろ

金持ちに批判が集まる世の中はどうかと思うのだ。ちょっと前ZOZOの前澤とかいう男が金をバラまいていたが、それにも批判が集まった。私にはわからない。金持ちが羨ましいという気持ちは当然あるのだろう。金持ちになりたいという気持ちは当然あるのだろう。だから批判する。私にはわからない。金を持っている人間が偉いに決まってるのだ。お前らもその点は十分理解しているはずだ。だから金持ちを批判するのは嫉妬や僻みでしかないからみっともない、やめなさいと多くの金持ちジャーナリストがコメントした。私もこの考えには概ね賛成したい。理由はこの後書く。

 

 

心の貧しい貧乏

 

よく心の貧しい貧乏は自分が金を持っていないのを金持ちや世の中のせいにする。自分が貧乏なのは自分のせいなのに。そして自分からは何も行動を起こさないのに、何も努力をしないのに、世の中が悪い、金持ちが悪いと愚痴をこぼすのだ。見るに堪えない。何度も言っているが貧乏であることと貧しいことは同じではない。貧乏でも貧しくならない考え方をすればいいのだ。だから極端な言い方をすれば、金持ちでも貧しい生活をしている人間はいるし、貧乏でも貧しくない生活をしている人間もいるのだ。

 

kaerun4451.hateblo.jp

良い悪いの基準で考える

 

 だから金持ちに対して貧乏が批判をするというのはみっともないのだ。その時点で金持ちが自分より上の存在であると認めていることになるのだ。人間にとっての良い悪いの基準は人それぞれある。お前らはきっと金持ちが「良い」で、貧乏が「悪い」と盲目的に思っているのかもしれない。だから金持ちを批判したくなるのだ。だが私は違う。金持ちが「良い」と思っていると同時に貧乏も「良い」と思っている。貧乏でしか得られないものだとか、金持ちでは気付かない社会の真理だとか、金持ちでは感じることができない些細な幸せだとか、きっとあると思うのだ。だから貧乏は「良い」のだ。ここで本題に戻したい。

競馬は金持ちの道楽だという風潮

競馬は金持ちの道楽だという風潮がある。確かにさっき紹介したYouTuberは桜花賞に500万円賭けて1700万の払戻し金を手にしていた。貧乏な私は5000円賭けて0円の払い戻しだ。だがそのYouTuberからはスリルを感じなかった。競馬に本来あるべきスリルがないのだ。競馬の1番の醍醐味であるべきスリルがないのだ。このレースを外してしまったら今週の生活は厳しくなる。このレースが当たったら焼肉を食うことができる。だから必死に予想するのだ。金持ちは競馬に勝っても競馬に負けても焼肉を食うことができる。これでは何にも楽しくないじゃないか。そう私は言いたい。生活が賭かっているから楽しいし必死になることができる。生活が賭かっているから最後の直線買った馬の名前を全力で叫ぶことができるのだ。もちろんギャンブルではなくスポーツとしての競馬を楽しむという考え方も私は十分理解しているつもりだ。一概にはそうは言えないということも重ねて書いておきたい。

貧しさからの脱却

 

確かにその動画でも最後の直線盛り上がってはいたが、どうも拍子抜けな感じがしてならなかった。お前ら勝っても負けても焼肉食えるんだろう?そう思って見てしまった。これを私の金持ちに対する嫉妬だとか僻みと取るやつもいるかもしれない。まあそういう感情も少しはあるかもしれないが、この時私は競馬を楽しむということに関しては「金持ちよりも貧乏のほうが上である」と力強く確信したのである。貧乏であるということが絶対に「悪い」とは言えない。だからこそ金持ちを批判してはいけないし、だからこそ金持ちと対等な視点で参考にするなり行動を起こすなりするべきなのではないだろうか。そういう寛容な心が貧しさからの脱却に繋がるのではないだろうか。以上。競馬を知らない人間にも読んでほしい話だった。それではまた明日。