交際中に夫は、食事代を割り勘ではなく、僕に支払わせてくれと言った。
— 柑橘系 (@7791orangina) 2020年4月13日
それは家父長制的な意味での「奢り」ではなく「男女平等だからこそ支払いたい」という意味だった。
「女性が負う生殖コストを、僕はこれからの人生に渡って君に正しく支払い続けるという意思表示をしたい」
という意味だった。
フェミニストを名乗る女性のツイートを拾ってきたのですが、どうでしょうか。これは「美談」でしょうか。これが「男女平等」なのでしょうか。これが「令和時代のジェンダー観」なのでしょうか。
結論から言うと、これは「男は外に出て働き、女は家に居て子供を育てる」という昭和時代を席巻した家父長制的なジェンダー観が、現代社会に適応したフォーマットに置き換わっただけです。「男性が女性に奢る」=「女性が負う生殖コストを男性が金銭として補う」ということは、噛み砕けば「女は産んで男は働く」ということです。こういった前時代的な男女の役割分担は、意図せずして「男女平等」を過激に謳うフェミニストにすら許容されているのです。
しかし、こういった男女の役割分担が機能するためには、「男性が金銭的に豊かである」という前提が必要となってきます。共働きが当たり前となり、家族を養い、庇護する能力の無い男性が増えた今、それでもなお男性に食事代の支払いを求めてくる女性たち(一部)に対して、NOとも言えない雰囲気はどうなんでしょう。男女の所得格差の減少に伴い、生殖コストという観点から見れば保たれていた男女平等は崩れ去りました。金銭力を失い、女性の生殖コストを賄うことができなくなった男性に、結婚するメリットは全くありません。上のツイート主の旦那サンはたまたま金銭力を持っており食事代を奢れたかもしれませんが、もはやそれを一般化することは出来ないと思います。
減衰社会の到来により私みたいな考えを持つ「小物男性」の増加し、それに伴い「婚活に苦戦する女性」が増えている昨今。結婚に対して、より女性の妥協が求められるようになりました。今こそ、こういった男性を取り巻く境遇の変化に対応した、新たな「令和時代の奢り論」の確立が、フェミニストたちの言う「男女平等」を達成するうえでの第一歩となるのではないでしょうか。