かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

ここは不快なインターネットだけれど。

生きていれば不快に思うことがたくさんあると思いますが、基本的に公共の場ではその不快感を露わにしないという人が多いでしょう。ただそんな人でも、家の中に入れば話は変わってくるわけで、当然一人暮らしであれば家の中で感じる不快感は自分の責任であるわけですし、自分主導でその不快感を取り除くこともできます。これは世帯においてもそうで、その不快感は家族全体の責任になりますし、不快な感情を抱けばそれを晒すことに抵抗は少ないはずです。そしてその不快感は概ね取り除くことが可能です(取り除けない場合は離婚なりすればいい)。

こういった心理バイアスは少なからず人間誰しもが持っているもので、家の外ではある程度の不快感は我慢できるけど、家の中では不快感は我慢できない(そもそもしなくていい)というのは極めて人間的なものでしょう。

しかし最近インターネットというものが普及してきました。みなさんはインターネットをどこで使うでしょうか。ネットカフェ、職場、スマホを通して通勤通学の最中に、といろいろあるかとは思いますが、「家」でインターネットを使うことが多いのではないでしょうか。インターネットに関する問題はいろいろありますが、実のところ元凶はここにあるんですよね。

ここで2つの前提を提示します。

①インターネットの場は公共の場である。

②インターネットは不快で溢れている。

この2つの前提には概ね同意が得られると思います。インターネットは誰でも使える公共の場です。もしみなさんが公共ではない場所→「家」でインターネットを使っていたとしても、それは「家の外」にいるのと同じことになると言えるでしょう。さらにインターネットに「不快」が溢れているというのは言うまでもなく、「不快指数」で言うならば「家の外」→公共の場より遥かに高いと思います。

これを踏まえると、インターネットには2つの特性があることがわかります。

①インターネットは「家の中」を「家の外」に変える特性がある。

②インターネットを使うことで「不快感」を得る。

この特性により、みなさんは本来不快を我慢する必要のない「家の中」に身を置きながら、そこで膨大な不快感を得ることとなるわけです。そもそも家の中でインターネットを使っている時の人間の感覚というのは「家の外」というより「家の中」にシフトしていきます。ということはすなわち、絶対的な「不快感」の決壊ラインが下がるわけです。不快感が決壊ラインを超えれば、それは誹謗中傷等のネットトラブルに直結します。ネットトラブルの本質はここにあって、人間が「家の中でインターネットを使うということは、家の外にいるのと同じことなんだ」という自覚を持たないことには、抜本的な解決に繋がることはありません。

確かにここは不快なインターネットだけれど、同時にここは「家の外」→公共の場であり、ここはみなさんが普段「不快感」を我慢している場所なんです。「家の中」では不快感に対して不満を言えば解決しますが、当然「家の外」であるインターネットでは解決しません。そのことを自覚しながら、個人個人が「家の外にいる時の顔」でインターネットを利用すること。それが根本的なネット問題の解決に向けての第一歩となるのではないでしょうか。

ここはインターネット、この世の不快が集まる場所。生半可な気持ちで来ると痛い目に遭うぜ。

それではまた明日。