かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

平和ということについて。

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2020年、オリンピックイヤーとなりますが、果たして無事にオリンピックを開催出来るのだろうかという情勢になってきました。このような形になった経緯と、そもそものイランを取り巻く隣国関係についてよくまとまっている図を拾ったので、拝借して貼っておきます。

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平和について

開戦が叫ばれると毎回そうですが、「戦争はやめて」「平和な世界が一番」という主張が世界を駆け巡ります。ここで疑問に思うのですが、そもそも「平和(peace)」ってなんでしょう。「平穏」「安全」「争いのない状態」「友好的」、各々の頭の中にはいろんな定義がなされていると思いますが、個人単位で見れば若干のギャップがあるのではないでしょうか。

そういう視点で見れば、「平和」は非常に曖昧な表現ですし、一般化して記すことができないというのは自明です。みなさんの頭の中で思い描いている「平和」は少なくとも「絶対的な平和」とは言えないでしょう。本当の「平和」を目指すためにはまずそのギャップと向き合う必要があると思いますし、逆にそのギャップさえクリアできれば、かなり「平和」に近づくことができると思います。

というわけで今日は、

「平和」の定義をどう定めるのが1番「平和的」なのか。

この命題について少し考えていきたいと思います。

kotobank.jp

まず平和であるためには、自らの平穏・安全が確保されなければ始まらないと思います。少なくとも、自分に対して危険が迫っている状況においては、自分以外の70億人の危険を排除する方法を考えることはできないのではないでしょうか。70億人の平和のためには、まず自分自身の平和が達成されているということが十分条件といえるでしょう。そして自分自身の平和が達成できれば、そこからは数学的帰納法的な考え方で世界平和を達成できるかもしれない。まずは自分自身の平和を考えるべきだと思います。

自分自身を平和にするために

道を歩いている時に、小麦色の肌をした金髪マッチョと、七三分けチェックシャツの色白ではどっちが安全かというのをまず考えます。これはもし自分がカツアゲをするならどっちを選ぶかというのを考えれば一目瞭然で、断然金髪マッチョのほうが「安全」である場合が多いのではないでしょうか。「護身」という観点から見れば、1番有効なのは自分を強く見せること、2番目に有効なのは強い武器を持つことです。自分を強く見せるためには日サロに行けばいいし、筋トレをすればいい。髪を染めてチャラい服を着ればいい。そうすれば人としての中身が何一つ変わらなくても、それが護身に繋がります。ゆえに女性の場合は、強く見せるということが難しいため武器を持つことが推奨されるわけです。これがいわゆる「抑止力」です。「自分を強く見せる」ということは最強の防御になるのです。

結論を言えば、私にとっての「自分自身の平和」は自分自身を強く見せるということに尽きます。「自己防衛」とは「抑止力を生み出す」ことであり、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

国家を平和にするために

個人単位で適用した考え方は、国家にもある程度適用できると思います。小麦色の肌をした金髪マッチョ=アメリ七三分けチェックシャツの色白=日本とすれば分かりやすいのではないでしょうか。どっちからカツアゲしたほうが「安全」かは一目瞭然でしょう。

自身の国家を強く見せる方法はいろいろありますが、基本的には軍事力の増強に尽きると思います。軍事力の増強こそが「平和」へと繋がる近道となるのです。

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と、ここでブログが終わると急進的右翼のヤバい奴になってしまいますが、もうみなさんお分かりの通り、ここで重要になってくるのが「中身」の問題です。さっきの個々人による「抑止力」の話も、そもそも小麦色の肌をした金髪マッチョが元々はただの優しい好青年だったという前提が絶対条件としてあるわけです。そう考えると、本当の「平和」とは「良い人」もしくは「優しい人」がコワモテに見せようとしている状態のことを言うのだと思います。これが結論となりますかね。

「コワモテだけど根は優しい人」が「平和」へのキーワード

オバマ政権の時のアメリカはまさに「コワモテだけど根は優しい人」という表現にピッタリの国だったと思います。強大な軍事力は持っていますが、あくまでそれは「抑止力」を生むための道具にすぎませんでした。しかしトランプ政権になったアメリカは「ただのコワモテのヤンキー」に変貌しました。強大な軍事力を「抑止力」ではなく「攻撃力」として使い、優先的に暴力的解決という手段を選択し、それをいとも簡単に実行してしまう。「抑止力による均衡維持」が現状の「国家間の平和的状態」に近づくための1番良い選択だと思われますが、アメリカ自らがその均衡を動かしにいっているという状況です。このままトランプ政権が続けば、仮に今回のイランとの件が水に流れたとしても、またどこかの国とこういう状態に陥るということが往々にして考えられるのではないでしょうか。アメリカの腰巾着である日本にも、当然しわ寄せが来ると思われます。

ところで、今の日本は「チェックシャツ色白のヒョロヒョロ七三分け」で間違いありませんが、こちらのほうが問題だと感じます。日本にチェックシャツを着るよう強制しているのは日本国憲法であり、日サロや筋トレを禁止しているのも日本国憲法(9条)です。腐り切った自民党の政治が良いとはお世辞にも言えませんが、改憲に対して意欲的であるということは評価すべきポイントだと個人的には思います。日本がちゃんと「コワモテだけど根は優しい人」になれるような、そんな憲法の制定が急務になってくるのではないでしょうか。今のままじゃいつカツアゲされてもおかしくないでしょう。「頼れる兄貴分」だったアメリカも変わり始めています。

 

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