かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

人の金で食うメシはマズい。

「男が奢るのは当たり前」という考え方について男が異論を唱えるようになって久しいわけだが、これがどうしてもわからないというか、ピンと来ない。「奢る」「奢られる」だったら絶対に「奢る」ほうがいいし、「人の金で食うメシは旨い」というのもわからない。

まず、根本的に「奢られたい」という気持ちがわからない。どうして率先して相手にマウントを取らせてしまうのか。確かに第三者的な視点で見れば「損」をしているのは「奢った側」かもしれないが、精神的、総合的、長期的に考えた時に、「奢る」ことには、その金銭的な損を打ち消すだけのメリットはあるのではないかと思う。感覚的な問題として。

まず前述の通り、相手に対してマウントを取れることが一番大きいと思う。感覚的な話として、奢った側は「優越感」に浸ることができるし、奢られた側には「後ろめたさ」が残る(後ろめたくない人もいるんでしょうけど)。つまり「奢る側」は、奢ることによって、「奢られた側」から自分に対する罪悪感を獲得することができるのである。「罪悪感」は主従関係を考える上でも1つのキーワードになっていて、「罪悪感」によって相手を従えることができるという意味でも「奢る」ことの価値はあるのである。

重複する部分もあるが、精神的な優位性としても大きいものがあると思う。「奢った」「いいことをした」「誰かの役に立った」「感謝された」という感覚は、日々の生活ではなかなかダイレクトに得られるものではないが、この「奢る」というたかが数千円出すだけの行為により、簡単に得ることができるのである。

あとは当然「見返り」にも十分期待できる。「奢られた側」は当然「後ろめたい」気持ちを抱えるわけだから、何か奢る側に報いなければいけないという感覚を持つだろう。少なくとも、「奢った金額分」くらいの見返りは十分期待できるのではないだろうか。

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しばしば界隈で話題になっているプロ奢ラレヤーという画期的な「ビジネス」が成立するのも、こういった人間の「潜在的なマウント欲」があるためで、基本的に人は「奢る=恩を売る」ということを求めているのである。だからこそ「男が奢るのは当たり前」という風潮は男の私にとっては歓迎すべきものだし、人の金で食うメシはマズいのである。

とここまで書いてきましたが、「人の金で食うメシはウマい」と思ってる人種には全く理解できない話だったと思います。だからこそ「男が奢るのは当たり前」ということに対して論争が起きるわけですが、これは一般性のある意見とは言えないですよね。

一週間お疲れ様でした。競馬予想は明日の朝8時アップロード予定です。それではまた明日。

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