軽めに書きます。適当に読み流してほしい。
よくYouTuberとかが、「1万円で〇〇作ってみた」「流行りの〇〇やってみた」みたいな企画を立ててドンと動画あげたりすると思う。で、結果こうなりました。結果全然ダメでした。的なノリで動画が終わる。そういう動画ってやっぱりわかりやすいというか、それをやったらこうなるんじゃないかという「予測」が見る側としても出来て、非常にキャッチーで「見れる」動画になると思うのだ。そもそもコンテンツ力がない配信者は「企画を考える」→「それを動画にする」を永遠と続けて何かに引っ掛けるしかない。コンテンツの良し悪しを握っているのは全て「企画力」である。
一方で企画のない動画はどうだろう。例えば、「特にやることを決めずのんびりライブやってきますよ」だとか(それも広義に捉えれば企画なんだろうけど)。それを「見れる」かどうかはかなり配信者の能力に高く依存していくし、それをコンテンツとして成り立たせるためには、ベースとして元から大きなコンテンツ力を持っている必要があるだろう。企画のないコンテンツがコンテンツ力を得るためには、「別の高度なスキル」と「既存のコンテンツ力」が必要不可欠なのだ。
人生はコンテンツである
とはよく言われる考え方であるが、だったら人生は「企画化」すべきなのではないだろうかと思う。
例えば、
「都会育ちのもやしっ子が、農家に弟子入りして最高の玉ねぎ作ってみた!」
みたいな。
こんな風に人生も「企画力ありき」でやってったほうが「見れる」ようになるのではないだろうかと思うのだ。ただ学校に行き、ただ就職して、ただ死んでいく。そんなのんびりライブ配信みたいな人生ではなく、「〇〇やってみた」っていう動画のような人生のほうがよっぽど面白くできるのではないだろうか。企画のない人生を面白くできるだけの高度なスキルを持っている人間はほんの一握りだろう。
だから人生は企画化すべきなのである。企画を立ててそれをやる。ダメだったら違う動画を撮ればいいし、編集を使って面白くするという方法もある。もし面白い企画を思いついてそれがバズったら、それをアップデートしながらシリーズ化していけばいいだろう。
そう考えると、学校は「企画力」を磨くべき場所なのかもしれない。それではまた明日。