かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

年収と労力は正の相関になるか?

社会人(特に男)の格を定めるにあたって、年収という指標が真っ先に引き合いに出されるのが今の日本では常識になっている(嫌な世の中だなあ)。

最近一部のおフェミ系の人なんかからは「年収の低い男は忙しくないから家事が出来る」的なトンデモ理論が飛び出したりしていて、見るに堪えないので整理していきたいと思う。

基本的に金を稼ぐには労力が必要である。これは普遍的だと思う。さすれば、「たくさんのお金を稼ぐ」=「たくさんの労力を消費する」というのは理論上成立するはずだ。だが実際はそうではないと思う。社会はそんなに単純には出来ていない。階層性バイアスによる外力が年収と労力の相関には働くのだ。この外力が、グラフを折り曲げていく要因となる。

ここでこれといったソースもなしに、私の独断と偏見だけの図を作ってきた。まずは見てほしい。

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縦軸に労力、横軸に年収を取った。そもそも労力というクソほど抽象的なものをこうやってグラフに表すというのはほぼほぼタブーだが、私の個人的考えという形であればわかりやすいしいいのでは。もちろん人それぞれ、私の頭の中では違う形のグラフになるけどなという人は当然いると思うし、あくまで感覚的な話ということで。

年収0~450万までは、年収を増大させるために労力的負荷を増大させる必要があると思う。「今まで以上に多く働く」「今まで以上に頑張って働く」ということが、年収の増大につながるのだ。だが450万(アバウトな数字です)を超えると、別に労力的負荷を増やすことなく年収を増やすことができるようになると思うのだ(これは年収の低い人間には相当厳しいこと)。これは、年収450万の中級労働者と、年収1000万の上級労働者のどちらが厳しい労働をしているかということを考えれば、感覚的にある程度捉えることができるのではないだろうか。

つまり少なくとも、年収と労力は純粋な正の相関を取らないのである。おフェミさんの基準(どうせ450万以上はないとダメなんだろ)を借りるのであれば、年収が低い人ほど忙しくて家事が出来ないということに繋がるわけだ。だから、「年収が低いんだから家事をしろ」という文言は、放射性廃棄物と一緒に地下深くに封印し、金輪際空気に触れないようにしなければいけないと思う。それだけ、世の中級労働者をバカにした、罪深い発想であるということが理解されるべきである。

ここで注意すべきなのは、年収450万以上においても労力の縮小が年収の増大に繋がる可能性が保障されていないという点である。しかもその人の置かれている環境の変化によって、労力の最高点はいくらでも変動し得る。これらの点も踏まえたうえでX-Y座標に表現するということはなかなか難しい。私がさっき作った図が、社会的なモデリングとしては適さないだろうなと感じるのはこういったあたりだろうか。

そもそも年収で人を格付けするのやめにしませんか?今日はそれだけを言いたかった。それではまた明日。

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