かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

人間は純粋な「他人軸」にはなれない

最近話題に上がったツイートを持ってきた。「わかるこれ」という人も多いのでは。

「自分軸」と「他人軸」について

「自分軸」「他人軸」について重要な部分をピックアップしてまとめてみたい。

自分軸→自分優先・人情を大切にする・自分は自分、人は人。

他人軸→空気を読んで自分の役割を果たす・マナーを大切にする・基本他人優先

ただちょっとこのまとめには疑問点もあって、これって結局「責任の所在」なのではという気がしなくもない。「自分軸」は果たして本当に自分優先で、「他人軸」は果たして本当に他人優先なのだろうか。ちょっと掘り下げてみたいと思う。

自称他人軸

「他人軸」が真に「他人優先」であるならば、他人の言動・行動に関して嫌悪感を示さないはずである。これが私が「軸」を「責任の所在」と捉える理由である。本当に他人優先であるならば、他人が自分の思い通りにならなくても、機嫌を悪くするなんてことは絶対にないはずだ。でもこの「自称他人軸な人間」は、空気を読み自分が他人に奉仕した見返りを他人に求める。自分が他人に都合よくしたんだから他人も自分に都合よく接しろという無言の要求をしてくるのだ。

果たしてそれを純粋な「他人優先」と言えるだろうか。こうして「他人軸」は崩壊する。「他人軸」とは「責任の所在」を他人に押し付けているだけなのである。だから他人優先と建前上は言いつつも、他人が自分の思い通りにならないとイライラするのだ。結局人間は誰しも、「自分が満たされればそれでいい」のである。そうであるのなら、向こうが察して動いてくれたのだから責任は他人側にあるけど、自分の思った通りには動いてほしいという理論を保持している「他人軸」の人間のほうがタチが悪いのだ。

純粋な他人軸でないのなら、その他人軸な生き方はやめるべきだと私は言いたい。自分は自分、人は人と割り切り、責任は自分で負う。そのほうが何百倍も健全であると私は思うのだ。空気を読んで他人の顔色ばかり窺っても、それが結局他人のためになるとは限らない。自分が消耗するだけだ。

今日はここまで。消費税増税に関してはいろんな意見がありますが、欧米の税収システム等を習うに15%程度がベストなのかなと個人的には考えています。その代わりに育児支援などの社会保障を充実させるべきなのでは。まあいろんな意見はあるでしょうけど、本当に日本の将来を考えての「増税」であればいいと思います。ただ今回は「その場しのぎ」の「増税」のように感じます。長期的な視野が見えない。そんなところで。それではまた明日。

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