脳はいいかげんにできている その場しのぎの進化が生んだ人間らしさ (河出文庫)
- 作者: デイヴィッド・J・リンデン
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2017/06/16
- メディア: Kindle版
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トンチンカンな主張に思うかもしれないが、説明力を上げるためには説明が上手くなってはいけないと思うのだ。どういうことか説明していきたい。
説明しようとすると怒る奴
説明という行為を生物学的に捉えてみる。ダン=デネットによれば「説明するのは戦争を仕掛けているのと同じ」だ。サピエンスの"説明能力"は、誰かと論争する際に、議論・説得・人心操作を巧みに行なう為の補助手段として進化した(Mercier & Sperber 2011)。それをシャットアウトするのもまた適応だ https://t.co/UMg4jpHdHx
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) August 7, 2019
「説明」が「攻撃」であるという意見だが、ある程度は賛同できると思う。「攻撃」であるのならば、「防御」は然るべき対応であって、説明しようとすると「馬鹿にしてるのか」と怒る行為は至極人間的だと言えるだろう。「本能的拒絶」というやつである。
説明能力が高いというインセンティブ
だから説明能力の高い人は、説明能力の低い人に対して無意識的に「殺そう」というインセンティブが働いているのである。これに抗う、つまり防御するためには「直観的拒絶(正当防衛)」を行う他ないのだ。説明力が高い人が説明上手と言えない理由がここにある。攻撃力が高すぎるがゆえに、聞き手は防御する手段が取れず、会話からの絶命を起こしてしまうのだ。
説明能力以外に何が必要か?
つまり説明上手になるためには、説明力が高い(逆効果の場合もある)というスキルの他に、もうワンスパイス欲しいのだ。
このワンスパイスは、紛れもなくシグナルだと思う。説明の中身が攻撃力の高いものであればあるほど、説明する側のシグナルの強さが緩衝材となるのである。
小泉進次郎に学ぶ「説明力」
最近何かと話題のこの人に発言力(広義的に説明力とも言えるか)があるのも、結局シグナルが強いからだと思う。確かに発言に中身がないという意見には全く同意するが、ヒトは中身よりシグナルで判断する生き物だということを忘れてはならない。そう考えると、彼には政治家の才があるかもしれないのである(これにはセクシーな賛否両論があるだろう)。
まとめ
だから、「論理的に説明したい」「でも理屈っぽくなりすぎると相手に嫌悪感が生まれてしまわないか」というジレンマの根源を、「説明の中身」のせいにしてしまうとおかしくなってしまうのだ。自分が説明をする際に発するシグナルを使って、いかに攻撃を「攻撃らしくなく」見せられるか。結局説明することとは「騙すこと」なのかもしれない。そう考えると、真の「説明上手」になるためには、「騙し上手」になることが必要なのではないかと思う。なんかよくわからないことでも、自信ありげにそれっぽく話せばそれっぽく聞こえてしまうのが人間という生き物なのだ。それが嫌味に聞こえてしまうか、あるいはそうでないかはまた別の話。
今日はここまで。だから文章だけで説明するのは難しい。それではまた明日。