かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

日本人はリベラルにはなれない

 

感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム

感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム

 

 

ja.wikipedia.org

リベラリズム(自由主義)という言葉は、今のご時世で具体的に内容を言うのであれば、男女平等、人種の平等、国際主義、表現の自由言論の自由、宗教の自由といったあたりだろうか。

今のツイッターなんかでもリベラルの仮面を被ったご意見番たちをよく見かけるが、果たして本当にそいつらはリベラルなのだろうかというのが今日の議論対象である。もともとリベラリズムというものは、フランス革命アメリカ独立を機に「欧米的な価値観」の下で広まってきた思想であるわけだが、現代の日本人が果たしてそれを正当に「踏襲」できているのだろうかということに疑問をぶつけていきたいと思う。

アメリカ人と日本人の差別に対する価値観の違い

ひとことで「差別主義を批判する」と唱えても、アメリカ人と日本人では捉え方が全く異なるのではないかと思う。

アメリカ人は「全体的思考」で差別主義を批判する傾向があるのだ(※)。差別主義を批判するなら、人種差別も批判するし、男女差別も批判する。白人だって黒人差別を批判するし、別にゲイじゃなくてもLGBT差別を批判する、という具合だ。つまり、ありとあらゆる差別を許さない。アメリカ人にとってリベラルとは、「完璧に差別のない状態の維持」なのである。

日本人は真逆で、「部分的思考」で差別主義を批判する場合が多い。たとえば男女差別を批判する人は、男女差別の批判しかしない。すなわち「自分が興味を持った差別」「自分が不利益を被る差別」しか批判しないのである(日本人の感覚からすれば当たり前のことだろう)。男性が女性差別を批判するなんて滅多にないし、ゲイじゃなければLGBT差別は批判しないのだ。それが「日本人」の差別に対する価値観である。言わば日本人は、差別に対して差別的な価値観を持っているのである。これをリベラルと言えるだろうか。これを完璧な差別の根絶、完全なる平等を理想として掲げるリベラルと言えるのだろうか。

日本人がリベラルになれない理由はここにある。欧米的な思考であるリベラルの全体主義的特徴は、「自分に関係のあることしか考えない」という日本人のスタイルと全く合わないのである。

日本人の「個人主義」的な部分は、実は効率がいい。

日本人が謳うリベラルがそもそもリベラルではないということはわかっていただけたかと思うが、その「エセリベラリズムが悪いとは、私は全く思っていない。

よくよく考えてみてほしい。男性が女性差別を批判するメリットってあるだろうか?ゲイじゃない我々がLGBT差別を批判するメリットってあるだろうか?まあ時と場合によるが、ほぼほぼないに等しいだろう。男性にとってみれば、女性が差別されていたとしてもなんの不利益も被らない。むしろ利益があるくらいである。

忘れてはいけないのは、リベラルはあくまで理想だということである。完全な平等を目指すプロセスの上では、自分にメリットのない事象を経ることが圧倒的に多いのだ。だからそこに労力を費やす必要がないのである(個人的な見解です)。こういう視点で考えると、アメリカ人の「リベラル」と日本人の「エセリベラル」とでは、エセリベラルのほうが実は効率がいいのかもしれない。

「感情と法」という面白い本があるのですが(冒頭に貼っておきました)、アメリカのリベラルについていろいろ載っているので、この記事で腑に落ちないことがあれば読んでみるのもいいのでは。読書の秋ですしね。

アメリカのリベラリズムも変わってきていて、全体思考的なリベラルは支持されなくなってきているようです。その流れがトランプ大統領爆誕に繋がったんだとか。

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