「出来るやつに出来ないやつの気持ちはわからない」というのは全くその通りで、これは私の推測による文章でしかない。もし数学が出来ない人がいたら、気を悪くせずにとりあえず読み流してほしい。私の経験則上、これは概ね筋のある主張だとは自負している。
これまでの人生で、私が数学の苦手な人間に遭遇したことは幾度かあったし、数学を教えろと要求されたことも幾度かあった。しかしその度に私はフラストレーションを溜めてきたのだった。その当時の一部始終を書きたい。
数学苦手くん「これ3でしょ?」
私「違うよ。なんで3になった?」
数学苦手くん「違うのか。じゃあ5だ」
私「なんで5になった?」
数学苦手くん「え?5じゃないの?」
私「いや5だけど、なんでそうなったの?」
という具合である。数学が苦手な人って、例外なく「こう」だと思うのだが。頷いている人も少しはいるかもしれない。つまり、数学が苦手な人はプロセスを考えないのである。これは極端な例だが、大枠の問題はここにあると思うのだ。
ザックリ言えば、数学っていわば一問一答形式なわけだ。問題がドンとあって、それと対をなして結論がドンとある。結論を導き出すことが数学のゴールではあるわけだが、数学の本質はそこにはないと個人的に考えている。
数学の本質とは「プロセス」である。どうしてその結論が導き出されるのか。それが一番重要視しなければならない問題なのだ。ちょっと脱線するが、今我々が生きている世界も、人間の感情と幽霊以外は「数学」によって支配できるわけで、ゆえに世の中の本質も基本的には「プロセス」だと思う。話を戻すが、数学が苦手な人間とは、プロセスを大事にしない人間のことである。
数学が苦手な人は公式を頑張って覚えようとする。しかし公式というものは既に得られた結論であるため、それを覚えたところで数学的な技能の向上には繋がらない。本質ではないからである。本質とはその公式がどうして成り立つのかを思考することだ。
言ってしまえば、「どうしてその公式が成り立つのか」これは即ち、どうしてその結論が導き出されるのかという思考と同じである。その「公式のプロセス」を知ることではじめて、その公式がどのようにアウトプットできるかを理解できるようになるのだ。プロセスを理解しないなら、その公式は知らないほうがマシだ。
ただここで数学が苦手なお前らは、「その公式を理解するのが無理なんだ」とか言うかもしれない。しかし待て。ここが勝負の分かれ目だと思う。理解できないからすぐに暗記しようとするな。まず聞け。理解している奴に説明してもらえ。それでもわからなかったら別のやつに説明してもらえ。5人に説明してもらえば嫌でも理解できるのではないだろうか。この作業を行っていないにも関わらず「数学が苦手なんだ」と言うやつは怠惰でしかない。そんなお前に数学をやる資格はない。
そして数学においてプロセスを考えるメリットがもう1つある。それは可能性の拡大である。数学というものは結論は1つしかないが、プロセスは無数にあったりするのだ。つまり問題をみて「どう結論を出そうか」と思考するのではなく、「どういうプロセスを使おうか」と思考したほうが「閃く」可能性というのは高くなるのである。この「閃き」に、公式を理解しているということが役立つのだ。経験を重ねていけば、どういうプロセスでどういう公式が使えるかというのが分かるようになるだろう。そうなった時、お前はもう数学が苦手じゃないはずだ。言いたいことはたったのこれだけ。それでは。
数学にとって証明とはなにか ピタゴラスの定理からイプシロン・デルタ論法まで (ブルーバックス)
- 作者: 瀬山士郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2019/08/22
- メディア: 新書
- この商品を含むブログを見る