かえるん日記

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なぜ人はハンドルを握ると攻撃的になるのか?

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煽り運転厨の指名手配→逮捕ツイッター界隈が歓喜に沸いているが、昨今自動車に関するトラブルが後を絶たない件に関してはお前らも不安を募らせていることだろう。

そこで今日は、「なぜ人はハンドルを握ると攻撃的になるのか?」というタイトルのもとに煽り運転が発生するメカニズムについて考察していきたいと思う。カニズムをしっかり解析することが対策に繋がる。

①世間体の欠如

 

人間(特に日本人)は世間体を重要視する生き物である。「これをしたら周りの人間に悪く思われるかもしれない」という思考が抑止力を生むのである。日本人の人口に対する犯罪者割合が世界的にみても非常に低い理由はこの思考が根強いためと考えられる。一般的なコミュニティ(会社・学校)などに身を置いて生活していれば、人間はこの抑止力を必ずしも受ける。この抑止力はストレスの原因になることばかりが取り上げられるが、一方で犯罪防止の役割も担っているのである。

ただ、コミュニティの規模が閉鎖的になりすぎたり開放的になりすぎたりすると、この抑止力は減少していく。家庭内暴力なんかはその顕著な例で、家族というコミュニティが閉鎖的すぎるがゆえに抑止力が外れることが原因である。

一方で自動車を運転している時。ドライバーはどんなコミュニティに身を置いているだろうか?それは交通網である。交通網という限りなく開放的でかつ公共的なコミュニティに身を置いているのだ。そこに世間体による抑止力が存在するだろうか?運転するうえで、「これをしたら周りの車に悪く思われるかもしれない」と思うことは当然あるだろう。だがしかし、周りの車を運転しているのは見ず知らずの人間だ。今後一生顔を合わせることのないかもしれない人間だ。ならばちょっと悪くしても今後の自分の生活にはなんの影響も出ないだろう。そういう思考に人間は陥ってしまうのである。これは仕方ないことだと思う。

このドライバー全体が開放的コミュニティに身を置いている状況こそが、自動車に関するトラブルが発生する最大の要因だと私は考えている。

②生身よりも強気に出ることができる

これは心理的な要因だが、運転中に人間は武器を装備したような錯覚に陥る。生身の状態よりも早く移動することができ、四方八方を鉄の塊が覆っており外傷要因からある程度遮断されている。この「いざとなったら逃げることができるし、戦うこともできる」という無意識的な認識が、ドライバーをより凶暴にするのである。

これには自動車という乗り物の特性も関係している。自動車は操縦性が高く、誰でも簡単に乗りこなすことができる。なんならマリオカートより実際の運転のほうが簡単なくらいである。この「扱える」という事実に一定の達成感が生まれるのだ。この達成感は自分に自信を与える。自信を与えられた人間は当然強気に動くだろう。

人間がハンドルを握ると攻撃的になる理由は概ねこの2つであると私は考えている。煽り運転はそこで発生するのだ。ならば対策は1つだ。それは「周りのドライバーが攻撃的であるという前提」を持つことである。人間はハンドルを持つと攻撃的になるんだという認識をそれぞれ持つことが、譲歩平和的対応へ繋がると思う。車に乗っていればドライバーどうしの関係は恒久的に平等である。そのことを忘れるな。

そうは言ってもやばいドライバーはたくさん居ますけどね。裁判を見据えてドライブレコーダーをつけておきましょう。それではまた明日。