かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

貧乏であることが豊かな理由

今の若者は恵まれた環境で育ちすぎたがゆえに「豊か」じゃないなと感じるわけだ。欲せば何でも買ってもらえる。どこにでも連れて行ってもらえる。旨いメシをいつでも食わせてもらえる。あくまで個人的な意見なのだが、親の愛情を当たり前に受け取って何不自由なく育った人間は「豊かさ」が欠如していると思う。そうやって育った人間は当たり前にある幸福を幸福と思うことができないのだ。当たり前に働いて当たり前に金が入り当たり前に生活できることの幸福を感じることができない。だから引きこもりやニートになってしまうのではないだろうか。そう思うのだ。個人的な意見だが。

私は母子家庭で育った。貧乏で欲しいものが何でも手に入るわけではなかった。外食なんてめったにしなかったが、母親がたまにラーメン屋に連れて行ってくれた。ボロいラーメン屋だった。でもそこで食べたラーメンの味は今でも忘れられない。そのラーメン屋の店主は死んだ。もうあのラーメンを食べることはできない。でもそのラーメンの味は、私の中に感性として生き続けるのだ。これが「豊かさ」だと思う。私は貧乏であることから「豊かさ」を学んだ。というより会得したと思う。

多くの若者は「豊かさ」がない。当たり前に生活できることを幸福に思わないから不幸になっている。不幸だからイライラする。私から見ると何にイライラしているのかわからない。何でも自分の思い通りに行くとは限らないだろう。それを子供の頃に学べなかったお前らの負けだ。

「豊かさ」が欲しいというのなら残高をゼロにしろ。残高がゼロの生活にしかない「感性」が手に入る。だから貧乏であることは豊かなのだ。

尺が余ったので1曲。スパーキングレディーカップは昨日の記事で過剰人気と言っていたマドラズチェックは無事飛んだが、ローレライを拾える変態はなかなかいないと思う。牝馬ダートは奥が深い。それではまた明日。