休日。珍しくバイトもないのでぼんやりブログを読んでいたが、こんな記事を見つけた。ぜひ読んでみてほしい。考えさせられる。
少子化
私は別に少子化が悪いことだと思っていない。増えすぎた人類を減らすことは地球規模で見ると良いことだと思う。だが少子化が進むことで困る人間は少なからずいる。特に我々の世代は顕著に困る。老人も困る。数少ない若者でたくさんの老人を支えていかなければいけなくなる(支える必要なんてあるのだろうか)。
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だから少子化を食い止めるために子供をたくさん作れ。困るのはお前らだ。こういうことを政治家は口を酸っぱくして言う。当然産むだけじゃダメだ。子供を育てて老人を支えられるくらいまで立派にし、社会に放出する。ここまでが少子化問題においての子供を産むということだ。つまり45歳以上の社員は今子供産んでいる真っ最中だ。そんな境遇の社員をリストラするのだから富士通グループは批判されて仕方ないだろう。子供を作らないやつは「社会のゴミ」であり、子育てを邪魔する奴は「社会の敵」である。これは現代社会における共通認識だろう。
少子化とは日本人が無難に生きた結果
私は少子化が生き方の多様化により起こったとは全く思わない。むしろ逆である。結婚すること、子供を産むことにはリスクを伴う。日本人はここ数十年で急激にリスクを避けるようになっており、その結果が少子化に繋がったと私は考えている。日本人は無難に生きるようになったのだ。無難に大企業に就職する。無難に公務員になる。でもリスクは背負いたくないから結婚はしない。そういう人間が私の周りにも多くいる。だが時代の変化に伴い、前時代的(といっても10年~20年ほど前だが)には王道であったリスクのない人生が早くも崩壊を迎えたのである。富士通の45歳以上リストラはその前触れに過ぎない。
今の話にちょっと補足するが、子供を作らないやつは「社会のゴミ」なのに若者は無難に生きようとしている。つまり若者は自ら進んで「社会のゴミ」になろうとしているのだ。なぜか。理由は明白。「社会のゴミ」として生きたほうがリスクが少ないからである。だがその現象も崩壊しかけている。
リスクを背負わない生き方
単純に言えばリスクを背負わない、つまり無難に生きていても得をすることはない。「社会のゴミ」として見られているのだから当然だ。いわゆるノーリスクノーリターンである。しかし富士通の45歳以上リストラの話を顧みた時、そこにもはやノーリスクノーリターンは存在せず、ハイリスクノーリターンとなっているのである。つまり現代社会において無難に生きることはハイリスクノーリターンなのだ。
結婚観
それなら多少のリスクを背負って結婚し子供を産んだほうが多少のリターンが得られるのではないか。それが私の考え方だ。少なくとも「社会のゴミ」として見られるよりはマシだろう。この理論を持っている以上、私の中で非結婚論者が言うことは「ハイリスクノーリターン人間の負け惜しみ」でしかないのである。
先日のブログでフェミニストのことをボロクソに叩いていた私が結婚に肯定的であるというのは意外かもしれないが、そこには前述の理論があるのだ。結婚出産だけじゃない。無難に生きてもリスクがあるのなら、多少のリスクは顧みずに行動すべきなのではないかと私は提唱したい。そのほうが現代に合っていると思う。なんなら公務員になるよりYouTuberになったほうがいいと思ってるし、逆にそっちのほうが利口なのではないかとさえ思うのだ。
何はともあれお前らは無難すぎる。ネットではあんなに威勢が良いのに。今日はこの辺まで。競馬の予想は明日の朝には出せると思う。それではまた明日。