かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

桜が咲いたので一句詠んで寝る。

馬券が当たった日はどうもバイトのモチベーションが上がらない。今から難しいことを書く気にはならないので一句詠んで寝させてもらう。競馬の予想は朝にやる。

私に花の質問をするな

年度替わりのこの時期はとにかく花の客注が多い。スーパー青果部でバイトを始めて3年になるが、野菜と果物に関する知識はかなり付いたのに比べて花に関する知識はなかなか付いてこない。今日も子連れマダムに「田舎のほうに転出される先生に花を贈りたいんですけど、どれがいいでしょう?」と聞かれた。私にはわからない。社員は帰った。管理の人に聞いたところでどうしようもない。かといって社員に電話するほどのアレでもない。適当に答えるしかないのだ。とりあえず一番赤いやつを勧めといたがどうだろうか。あの花の花言葉が「左遷」かもしれない。もしそうならあの親子には申し訳ないことをした。ただ結局重要なのは気持ちだと思うのだ。気持ちがこもっていれば花言葉なんてどうだっていいじゃないか。自分の花言葉なんてあの花は知らないだろう。そんなもの人間の匙加減だ。人間が決めた自然界のルールに意味はない。

 

美しい花言葉・花図鑑‐彩りと物語を楽しむ‐

美しい花言葉・花図鑑‐彩りと物語を楽しむ‐

 

 

桜の季節

 

花といえば大学構内で桜が咲いていた。五分咲きくらいだろうか。花見をするなら来週くらいがベストだろう。

私は桜を見ると可哀そうになる。私と同じ感性の人は少ないかもしれない。多くの人は桜はすぐに散ってしまうからと儚い気持ちになるだろう。そしてその一瞬の美しさに心を奪われるのだ。だがよく考えてみてほしい。桜はずっとそこにいるじゃないか。すぐ死ぬかのような言い方をされるが、何年もそこに生き続けている。つまり桜は春の一時だけもてはやされ、注目されるが、残りの300日以上は見向きもされないのだ。これでは桜が可哀そうすぎる。人間はその物が一番華やかな時を切り取って評価する生き物だ。だから恋が冷めて離婚するのだろう。本質はそこじゃないのだ。物事の本質は「秋の桜」にある。だから花見は好きじゃない。本質を見ていないから。物事の陰の部分にこそ本当の美しさはあると思っている。誰にも見向きされなくてもそこに堂々と立っている。だから私は春の桜より秋の桜のほうが好きだ。華やかさと危うさは表裏一体だと思う。本質を見ればきっと離婚も減るだろう。

ところでどんよりとした天気が続いている。ここで一句。

長崎は

今日も雨だな

ここ筑波

寝る。それではまた明日。