かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

コンサマトリーな生き方を。

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現代の社会学において「コンサマトリー」という言葉は、主に若者を批判的に評する時に使われてきたようです。コンサマトリーという用語について軽く説明すると、

地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的(ときに刹那的)にその自由を享受する姿勢もしくはそれを積極的に促す状況。対義語はインスツルメンタル。

ということです。個人的解釈で噛み砕けば、

未来のために現在を手段として消費するのではなく、現在のために現在を楽しむ。

という風にも考えられる概念かと思います。

なぜ大人が「コンサマトリー」に生きる若者が批判するか、というのには明確な答えがあって、それは戦後~バブル期にかけて「インスツルメンタル」に生きることによって結果を出してきた大人たちの成功体験によるものです。現在の40代~50代以上の人たちが若者の頃は、とにかく今日を捨てて明日の発展のために一生懸命働くことにより、高度経済成長という形で結果が出ていました。当時は、そこに「インスツルメンタル」に生きることの価値はありましたし、そこに現在を「手段」として消費するメリットは確実にあったと思います。

しかし時代は移ろい、若者を取り巻く環境は激変しました。今の日本は超少子高齢化社会、つまり右肩下がりの社会です。右肩上がりの社会ならば、明日に希望を持って今日を犠牲にしてもそれ相応のメリットは見込めたかもしれませんが、しぼんでいく社会においては、明日のために今日を犠牲にすることはデメリットでしかありません。その点で、究極の現在志向・個人志向であるコンサマトリーこそが今の社会にマッチする考え方だと思いますし、自然とその流れに適応している我々若者はある意味利口なのかもしれません。

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自らの成功体験から若者に「インスツルメンタル」な生き方を薦めたり、強要したりする大人に悪気は無いのかもしれませんが、若者は若者なりに現代社会に適応し、「上手く」生きていると思います。「今の若者は幸せじゃないのではないか」と大人が考えて何かしらのアプローチをすることは絶対悪とは言えないかもしれませんが、あくまでも、若者が幸せかどうかを決めるのは若者です。全て大人の受け売りで若者が動いては、それこそ停滞へと繋がります。経験値の唯一のデメリットである「柔軟性の損失」は常に頭の中に入れておかなければなりません。特にこれから経験を積み重ねるであろう我々若者にとっては。

こんな停滞した世の中だからこそコンサマトリーな生き方をするべきだと思います。今日の幸福は今日でしか得られない。

個人的にあまり好きな評論家ではありませんが、古市さんの本にこのような話が詳しく出ています。安いのでお時間ある方はぜひ。それではまた明日。