かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

何が真実で、何が真実じゃないかについて。

もはやテレビや新聞でニュースを見れない

私は臆病者だから怖くてテレビや新聞でニュースを見ることができない。ニュースを見るときは必ずスマホでヤフーのアプリを使って見る。ヤフーのアプリで見れば、そのニュースの最後にコメントを見ることができる。そのニュースに対して一般市民がどう思っているのかが一目でわかるのだ。さらにコメント1つ1つにグッド評価、バッド評価が付けられるようになっていて、そのニュースに対するコメント自体が一般市民の支持を得ているか得ていないかも一目でわかるようになっている。これはテレビや新聞では得ることができない情報だ。

テレビや新聞の情報は恐怖である

 

なぜテレビや新聞でニュースを見ることができないのか。怖いからだ。なぜ怖いか?テレビや新聞はニュースが客観的に述べられたあと、コメンテーターやら専門家やらが解説したりする。つまり我々はそのニュースに対して、情報を発信する側の意見しか受け取ることができないのだ。これは非常に怖いことだと私は思う。私みたいに臆病なチキン野郎は、あるニュースがあって、そのニュースに対する賛成的な意見があって、さらにそのニュースに対する批判的な意見があって、その意見がどれくらいの支持を受けているかまで知ることができて、はじめてその情報を信頼することができるのだ。信頼できないこと即ち恐怖である。私にとって恐怖を有する情報は真実ではない。だからテレビや新聞から得られる情報は真実とはいえないのである。

我々が真実と信じて疑わないものは果たして真実か

具体例を出したい。例えば運動方程式だ。我々はma=Fと信じて疑わない。ma=Fが真実だと信じて疑わないのだ。だが運動方程式は証明されていない。経験則からそうなっているだけだ。

鶏と餌やり師

 

鶏と餌やり師の話があるので紹介したい。

すごくマメな餌やり師がいた。

その餌やり師は毎日朝8時に鶏に餌を与えていた。

餌やり師は30年間欠かさず鶏に餌を与えていたため、鶏は8時の餌やりを中心とした生活リズムを取るようになった。

やがてマメな餌やり師は引退し、ズボラな餌やり師が後を引き継いだ。

ズボラな餌やり師は毎日適当な時間に餌を与えた。

餌の時間がズレたことで鶏の生活リズムは崩壊し、鶏は全羽死んでしまった。

人間を鶏、運動方程式を8時の餌やりとして見るとわかりやすい。鶏は8時に餌が与えられるということが真実だと信じて疑わなかったに違いない。我々も同じだ。ma=Fだと信じて疑わない。しかしそれは真実とは言えない。いつ餌やり師がズボラになるかわからないのだ。そして人間は「餌やりは8時」というのを「常識」という形で美化し、それを疑うやつを排除しようとする生き物だ「常識」という言葉ほど怖いものはない。

 

 

立方体

 

我々は結局我々の見ている視点からしか世界を見ることはできない。真実とは立方体を6方向から見ることだ。だからこそヤフーのアプリは我々にいろいろな視点を与えてくれる分、我々を真実に近づけてくれる。そしてお前らは立方体を6方向から見たときに気付くはずだ。真実を知るには立方体の内側からも立方体を見る必要があると。

今の人間は餌やり師の存在に気付かない。立方体を1方向しか見ない。だからもしそれが直方体であっても立方体だと言うし、餌やりは8時ではないと言うと声を荒げて怒るのだ。そういう人にとってはきっとこの世のすべてが真実なのだろう。私は餌やり師の変化にいち早く気付ける人間でありたいし、立方体を常に6方向から見られる人間でありたい。それがこの世を生きる上で重要になってくると思うのだ。だから周りの物事はすべて真実ではないべきだ。

寒かったり暑かったりする日が続く。春を通り越してすぐ夏が来そうだ。それではまた明日。