かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

人生を道なんかに例えるな

とにかく眠いのでバイト中思ったことを少々書きたいと思う。感想の羅列で読みにくいかもしれないが悪しからず。

人生観について

人生というのはよく道に例えられる。人生という道を進んでいくとやがて分岐点が現れ、我々はどっちに行くか決断をし、どれか1つの道をまた進んでゆく。後戻りはできない。こういうのは極めて的外れな表現じゃないかと思うのは私だけだろうか?私は言いたい。人生とはジャングルだ。そこに道なんかない。予め舗装された道を進もうなんて貴族の考えだ。道は自分で作るしかないのだ。木を避け、草を避け、時折現れる川に橋をかけ。これが人生だと私は言いたい。決断だとか分岐点だとかいう言葉は嫌いだ。分岐点は点で現れるのではないのだ。常にそこには分岐点がある。だから分岐点ではなく分岐線だ。我々は今長い分岐線の途中にいる。

今の話と矛盾するかもしれないが、人生を道とかいう線的な表現で比喩するのはどうかとも思う。人生とは1日1日の点なのだ。明日のために今日があり、今日があるから明日があるという考え方だからダメなのだ。だから昨日の失敗を今日に持ち越してしまうのだ。朝起きたらそこは新しい人生だと思えばいい。人生を線だと思うからお前らはフレッシュな朝を迎えられないのだ。人生は1日という点の集合体だ。たまたま今日と明日が隣に並んでいただけに過ぎない。だから昨日の失敗なんか気にするな。過ぎたことだ。他人の失敗例と思って教訓にし、また新しい人生を歩めばいいじゃないか。まあ大きな目標を1つ立てて、それに向かって線を引いていくという人生のやり方もあると思う。だが結局それでは疲れてしまうと思うのだ。私は1日で達成できる目標しか立てない。長いスパンの目標は精神に対する負担が大きいからだ。

社員さんの知り合いが鬱になったと聞いたのでこんなことを考えた。結局鬱っていうのは蓄積から生まれるものだ。考え方1つで回避できると私は提唱したい。

 

無農薬

バイト先の地元で作られた無農薬リーフレタスの売り場が撤去となった。明日からは群馬県産のプリーツレタスを売るらしい。確かに無農薬野菜は多少見栄えは悪いかもしれないし、売れ行きも良くないかもしれない。

 

 

だが私は毎日無農薬野菜を求めて売り場を訪れる近所のお年寄りを知っている。無農薬にこだわる子連れマダムを知っている。その常連客は無農薬リーフレタスが無くなったのを機に店に来なくなるかもしない。社員さんは上の契約の問題がどうこうと言っていたが、これには納得がいっていない様子だった。やはり現場の声が届かないという企業の風通しの悪さは重要な顧客の損失に繋がると改めて認識させられた。ここで一句。

契約の

嵐で腐る

無農薬

寝て起きて競馬予想。それではまた明日。