かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

結局のところ、何が善で何が悪かなんてわからないよなって話。

篠田麻里子の不倫騒動がインターネットのおもちゃになって久しい。

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正直対岸の火事なのでそんなことどうでもいいのだが、流出音声のインパクト、篠田麻里子のタレント性、旦那が脅迫していた説が出る等で事態が混沌化するなど、これだけ議論欲をそそられる要素が揃ってしまっては、参戦しなければいけないと思うのがインターネット民の性なのではないだろうか。

対岸の火事」はおそらくすごい昔からある言葉だが、今では「対岸の火事とはいえない」みたいな使い方が多いような気がする。この理由として、すごい昔は一旦船に乗らないと行けなかった「対岸」が、橋が掛かり、線路が掛かり、高速道路が掛かり、インターネットが繋がり、どんどん「対岸」とは言い切れなくなっていったということが挙げられるだろう。

未だにインターネット内の火事(炎上騒ぎ)を対岸の火事だと思って茶化したりする人が多いが、今はtwitterのリプ欄からも火は燃え移るし、日々の生活の悪事が自分の存ぜぬところで火の粉を散らすことも無いとはいえなくなってきている。

万引きの瞬間が全世界に公開、視聴者通報で発覚 ライブ配信は防犯カメラに変わるか 弁当店「キッチンDIVE」(動画あり) : ツイッター速報 (tsuisoku.com)

だからこそインターネット内では慎重な行動言動を心がけたいと常々思っているのだが、体に油を塗ったインターネット民たちが皆そう考えているとはいえないのが現状だと思う。篠田麻里子の件も「不倫が悪い」という正論(油)を武器に執拗にバッシングし(中には「不倫させた夫が悪い」と言い張るツイフェミ勢もいたが、今回はそっとしておきたい)、善いことをしたと満足そうにするのである。


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ここでもし仮に、篠田麻里子の不倫音声が捏造であり、不倫をしたという事実が無いことが発覚したとしたら(今回は一連の証拠から不倫の事実はあるっぽいが)、インターネットはどうなるだろうか。篠田麻里子をバッシングしていた者たちはバッシング(返り討ち)に遭い、メディアリテラシーが低いなどと罵られ、今度はバッシングした人たちをバッシングした人たちが善いことをしたと満足げに語るのではないだろうか(以降メビウス)。

結局なんだかんだ対岸にいる私たちは、何が真実なのかを完全に知ることは出来ないのである。マスコミという性能の偏ったろ過装置を介してしか、インターネット上の世界を見ることは出来ないのだ。火事だと思ってみていたものは、実は花火大会かもしれないし、キャンプファイヤーかもしれないのである。そんな不確実な情報で私たちは議論をし、あたかも自分が正義のヒーローかのごとく見ず知らずの他人を罵り、蔑み、傷つけ、最悪の場合は死に追いやるのである。

杉下右京 に対する画像結果

100%事件を解決する刑事が、

「例えどんな悲惨であろうとも、我々には真実を解明することしかできない」と言い、小見門健介 に対する画像結果

100%裁判に勝つ弁護士が、

「何が善で何が悪かはわからない。我々には依頼人を勝たせることしかできない」

と言っている通り、空想上の完璧な人間をこしらえたところで、本当の善に辿り着くことは難しい。ましてや真実に迫ることさえ悪になり得るということは言うまでもないのである。

「親戚の子供がコンクールに受かるようにピアノを教える」は一見善に見えるが、その子が受かることによって落ちた子が居ただろうし、

「燃えるゴミの日ではなかったが、余った弁当を大量に捨てた」は一見悪に見えるが、その弁当で食い繋いだホームレスが居たかもしれない。

私たちがインターネットを通してみているものなんて何が真実かわからないし、善かれと思ってしたことが回り回って誰かを苦しめているかもしれない。そう考えれば、こんな状態でインターネット上の見ず知らずの人をバッシングするなんて、到底出来ないのではないだろうか。

ということでみなさん、twitterでは家族や動物のほのぼの投稿に対して「ほのぼのしました!」とだけリプしていきましょう。それでは。