かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

やりたいことがなくて何が悪い

台風が過ぎた。正直ここまで酷くなると事前から予見していた人は少なかったのでは。昨日の夕方まで爽やかな秋晴れでしたからね。

このタイミングだからこそ読んでタメになるwikipedia文学「伊勢湾台風」を貼っておく。時間がある方はぜひ。今日の本題はここから。お前らは小さい頃から、「将来の夢」について無理やり答えさせられる機会が少なからずあったと思う。私の「将来の夢は?」に対する答えは小さい頃から明確だった。「特になし」である。しかしこの、「特になし」を大人たちは許さなかった。その度に私は「スキーでオリンピックに出る」とか取って付けたような偽りの夢を適当に語ったものだ。

こうした、「夢」「やりたいこと」「成し遂げたいこと」の必要性を訴えかけるような教育方針に子供の頃から疑問を持てる人は少ないだろう。だからお前らは、「夢」を持たなきゃいけないんだと思い込んでしまう。だが「夢」とは自然に見つかるものであり、無理やり見つけようとするものではないと私は思うのだ。

よくテレビやらなんやらの情報媒体で、「夢を持ち、それを成し遂げようとすることが大切なんだ!」とかいうプロパガンダが行われているが、そもそも情報媒体でそのような発言をする人達というのは、既に夢を成し遂げた人であることが多い。本当に我々が小さい頃に聞くべきなのは、夢を成し遂げられなかった人の講演だと思う。失敗例を体感することこそが成功へのステップとしては大事なのではないだろうか。夢を成し遂げた人が「夢を持ったほうがいい」って言うのは当たり前のことでしょう。重要なのは、夢を成し遂げられなかった人が「夢を持つべきなのか」を議論することだと思う。

話を戻すが、人間は「目標を立てて何かを達成すること」生きがいを感じる人と、そうでない人に二分できると思う。確かに社会に貢献し、世間に寄与するような活躍をする人間は前者かもしれない。前者は成功者として称えられ、後者ナマケモノとして罵られる。だから後者前者になろうと努力し、挫折し、そして劣等感を感じてしまうのだ。

ただ本質的な「人生の楽しさ」という観点でいけば、決して前者後者に対して完全勝利するわけではないと思う。言ってしまえば、何も達成しないことに幸福感や生きがいを感じてもいいのだ。休みの日に昼まで寝て夕方までゴロゴロし、適当にコンビニで酒買ってきて飲んで寝る。そのことに楽しさを感じるならそれでいいじゃないか。

そりゃ目標を立てて何かを成し遂げることは、楽しい人からしてみりゃ楽しいかもしれない。だが、成し遂げることに楽しさを感じない人間が無理に何かを成し遂げようとする必要はないのではないだろうか。生き方は人それぞれあっていい。「夢」を持たないで生きたって楽しければそれでいいのだ。「夢」を持つことが偉いなんていつ誰が決めた?「やりたいこと」がないとダメなんていつ誰が決めた?そんなのは妄言にすぎない。それではまた明日。