かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

クレイジー・クレーマーを無視することはできないのか?

vpoint.jp

 先日のアンパンチの件もそうだが、全てのクレームに対して真摯に対応していくことが必ずしも企業の利益に繋がるという考え方は果てしなく古い。そのクレームが「全う」なものなのか。それとも「クレイジー」なものかを見極めて、「対応」するのか、それとも「無視」するのかを吟味していく。そういった手腕が今の企業には問われていると思う。この問題についてわかりやすい記事が伸びていたので貼っておく。

sskdlawyer.hatenablog.com

 そもそも人間は生き物としては異例なほど、果てしなくでかい構成単位の中で生活している。生物では大きい群れでも1000個体ぐらいが一団で暮らすわけで、例えば国家ならば何百万、ましてや億なんて個体が同じ所属を持つなんていうのはどう考えても諸問題の発生に繋がるわけだ。いわゆる群れの中の「はぐれ者」が出てくるというのは、群れが大きいがゆえのごく自然な現象なのである。

 以前「このままでいいのかサイレント・マジョリティー」という記事を書いたが、クレーム処理に関してもこの考え方が適用できると思う。処理すべきかどうかは、それが「全う」であると感じるならば処理すべきだが、一概にも「全う」と言えないならば、それが「大衆の意見」なのか「はぐれ者の意見」なのかに依存すると思う。

kaerun4451.hateblo.jp

 はぐれ者の意見を処理してしまえば、それが企業の不利益に繋がるということは感覚的にわかるのではないだろうか。今回のアンパンチ自粛の件もまさしくこれである。こういうことを起こさないためにも、SNSを活用してサイレント・マジョリティーの意見の方向性がどういったものなのかを判断する必要があると思う。

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ちょっと興味深い写真を貼ってみた。今のSNSの正しい使い方はマジョリティな意見に賛同していくことであり、自らのリア充生活でマウントを取るという使い方はもはや時代遅れとなってきている。悪いものは束になって叩き、良いものは束になって称賛する。これは悪い意味で捉えられることが多いが、良い意味ではごまかしのきかない世の中になったということが言えると思う。善悪両方の側面がある中で、特定の視点からこの「極限の情報化社会」を評価するのは難しい。

そういう意味では、国家というあまりにも大きすぎる構成単位はSNSによって統合されつつあるのかもしれない。情報化社会の慣れの果てをポジティブに捉えるとすればこういう見方だろう。ただこれは凝り固まった議論を生みかねない。そう考えると、クレイジー・クレーマーは無視すべきだが、存在はするべきだ。それが停滞を防ぐことに繋がると思う。異端な意見というのは議論の対象として扱いやすい。

情報を発信する価値は「需要」によって決まるが、大衆の意見に賛同することへの「需要」がかなり大きい世の中になった。これをおおもとで認識しておかなければ、SNSで今後恥をかくことになると思う。お前らの幸せな生活はお前らの記憶の中に留めておけばいい。SNSを上手く利用しつつ、クレイジー・クレーマーは無視していく。情報化社会において我々には柔軟な振る舞いが求められているのだ。ブログを書くなんてリスクでしかない。それではまた明日。

 

kaerun4451.hateblo.jp