かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

魅力的なタイトルがつけられない

「見出し」の重要性

 

 ブログをはじめてしばらく経つのだが、こうコンテンツを出すにあたって、パッと見で興味を引けるかどうかが結局全てだなと最近つくづく思うのだ。

ちょっと前だが、ヤフーのトップニュースに「吉本の芸人が海外で死去」という訃報が入ってきた。パッと見衝撃が走った。が、記事を開いて見てみると知らない人だった(ファンの方見てたら申し訳ない)。

思ったのは、これもっと有名な芸人ならばタイトルに名前出すよなということだ。あまり有名な芸人ではなくタイトルに名前を入れても記事のアクセスを稼げそうになかったため、名前を伏せて「吉本の芸人」というタイトルにしたんだと思う。そういう読者の瞬間的な興味を引こうという記事作成者側の見え見えな「釣り行為」に私はまんまと乗せられたのである。その時は「訃報でこれかよ。不謹慎なメディアだな」くらいにしか思っていなかった。しかしよくよく考えてみると、これがコンテンツ力の最たるものなのではと思い始めたのである。結局記事を開くか、開かないかが一番重要なのだ。

外枠か、中身か。

 

もちろん読者の「リピート」を生むには中身が重要だと思う。中身が伴えばユーザーは一定数コンテンツに戻ってくる。

ユーザーの定着・離脱とユーザーの新規獲得の循環の中でコンテンツ力の増減が起こるわけだが、その増減に「定着・離脱」「新規獲得」のどちらがより多くの影響を与えるか。言い換えると、既存のユーザーの機嫌を取るか、新規ユーザーの開拓を取るか。さらに言い換えると、保守と革新のどっちがコンテンツの拡大にとって有効なのか。それが今日のメインディスカッションになると思う。

冒頭でも言っているが、私の意見は若干外向きに変化しつつある。もっと言えば中身を変えずに外枠を進化させていくことがベストだと思い始めている。だからコンテンツのとなる部分は変えずに、外側の部分はジンワリと変化させていく必要があると私は提唱したい。それが「固定・定着」にも「新規獲得」にも繋がってくると思う。

人がうごく コンテンツのつくり方

人がうごく コンテンツのつくり方

私のブログについて

 

外側をジンワリ変化させることの第一歩として、さっきの不謹慎な例のような「釣れるタイトル」の模索が課題としてある。私の場合、このブログの核となる部分としては「貧乏にもっと自由を」というのがあるが、そこを変えるつもりは毛頭ない。だからやはり外側の変化というか進化が必要になってくると思うのだ。

そういうことを踏まえての今日のブログのタイトルがこれだった。

特に何も思いつかなかったので、私はコンテンツを作るのには向いていないなと感じた。だからこれまでどおりテキトーにやっていく。ひょっとすると大事なのは「中身」でも「核」でもなく「自由」なのかもしれない。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 そう考えると「釣る」というのは「自由」じゃないな。それではまた明日。