炎上覚悟で言う。黙れ。保証された義務教育もマトモに受けられないクソガキが何かを変えるなんて無理だわ。しかも10歳だと?中学にすら言ってないような野郎じゃないか。こんなのが人を引っ張るなんて無理。足を引っ張ることしか出来ないわ。今すぐ学校行け。調子に乗り過ぎだ。お前が思うほど甘くない pic.twitter.com/LGvrmtz29Q
— ⚜ひぇだてゃん⚜リス飼い系ツイッタラー (@invalid_Hieda) 2019年5月6日
このツイートがバズるのかと思って見ていた。私はこうは思わない。「10歳でこんなことやってて将来困るのは目に見えてる」「幼卒に何かを変えるなんて無理。誰かを引っ張るなんて無理」本当にそうだろうか?検証していきたいと思う。
「そんなことじゃ社会に出て通用しない」
「社会に出たら通用しない」「社会に出たら困る」この考え方は反吐が出るほど嫌いだ。だからなんだと思う。前にも書いたかもしれないが、人生のメインをどの時期に据えるかはその人次第だと思うのだ。学生時代をメインに据えても当然いいと思う。別に後々困ったからといって学生時代を謳歌したならそれでいいじゃないか。そういう考え方もありなんじゃないかと思う。だいたいにして学生時代を真面目にやってきたお前らは今、社会人生活を謳歌しているだろうか?私はそうは思わない。
将来のことを顧みず今出来ることに挑戦する。そのことが批判されるのはおかしいことだと思う。「将来困る」という事象は今この瞬間には何も関係ないじゃないか。つまり「将来困る」ということは「今、学校に行くこと」の理由にはならないのである。
じゃあお前は何か変えられんの?って話
「小学校にも行けないやつが何か変えるのは無理」という意見について。これはそうか?関係ないのではないか?別に大学出たからといって何も変えられないやつがうじゃうじゃいるわけで。結局大事なのは「変えよう」という意思じゃないか?変えようと思わないと変わらないのではないか?そこに学歴やら年齢やらは関係ないと思う(人生経験という観点で言えば関係あるのかもしれないが)。だから何も変えていない我々が、今から何かを変えようとしている10歳のユーチューバーの彼を批判することはできないと思う。それは愚論であり当て付けだ。
学校に行くべきか
学校に行くべきか。行かないべきか。という一般的な議論は存在しない。その人の置かれた環境に大きく依存する問題だからだ。だが何か目的を持って行かなければ学校に行く意味はないと思う。
例えば、「将来こういう職業につきたいから学校に行く」「友達とワイワイやって楽しいから学校に行く」「隣の席の女の子がかわいいから学校に行く」。そうでなければ行かなくてもいいと思う。ただ惰性で行くなら行かなくてもいいと思う。行きたくないなら行かなくていいと思う。それこそ家でユーチューバーしていたほうがいいと思う。それで将来が困ろうが関係ないじゃないか。今が楽しければそれでいいじゃないか。
ほとんどの日本人がそういう発想に至らないことが悲しくて仕方ない。10歳のクソガキに対して「お前には何もできねえ」とか言って笑っていることが悲しくて仕方ない。自分も何もできないのに。だからこういうブログを書いた。今日はここまで。意見があるならコメント欄へどうぞ。それではまた明日。