かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

飛び降り自殺をスマホで撮って何が悪い

breaking-news.jp

 

梅田で飛び降り自殺があった。合掌。ご冥福をお祈りする。

自殺は最善手とはいえない

 生まれるということが最悪手である可能性は高いが、生まれてしまった以上死ぬということが最善手である可能性は極めて低い。自殺は「不幸」を「不幸」と確定させる行為だからだ。人生において不幸を挽回するチャンスが僅かにある以上、自殺は最善手ではないのである。だから死にそうなやつは死にそうな顔をして助けを求め、我々はそれに応えるべきだ。まずは私の自殺に対する認識を書いた。本題はここからだ。

 


 

飛び降り自殺の動画は健全である

飛び降り自殺の動画が出回るということは、自殺の瞬間を撮影した人間がいるということだ。今朝ツイッターでちらほらあがっていた。それに対して、飛び降り自殺の瞬間を動画で撮るなんてあり得ない。悪寒が走る。不謹慎だ。自殺を見世物にするな。などという意見が挙がっていた。これにちょっと疑問を呈したい。飛び降り自殺の動画を撮ることはそんなにいけないことだろうか。自殺に画面を向けるということは人の死と向き合っているということだ。これは極めて健全ではないだろうか。

逆にその場にいたのにも関わらず通り過ぎた人間はどうなのか。人が死のうとしているのに知らない顔で通り過ぎた人間はどうなのか。そいつらのほうが不謹慎じゃないか。そいつらのほうがよっぽど不健全じゃないか。私はそう思う。

以前死刑を執行するなら市民自ら罪人の心臓をナイフで刺すべきだという記事を書いた。それと同じことではないか?社会で起こっている惨劇にもっと目を向け、耳を傾けるべきなのではないか?私は言いたい。飛び降り自殺を見かけたらスマホで動画を撮影するべきだ(当たり前だがまず警察に通報しろ)。そのほうが健全だ。そして社会ではこんな悲惨なことが起こっていますよと拡散すればいい。そのツイートを見て自殺を思いとどまる人がいるかもしれない。もしそうなれば飛び降りた彼女の死は無駄な死ではなくなるのだ。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 不謹慎ってなんだ?

 お前らはすぐ不謹慎だと言う。まるで死に関わること全てが不謹慎かのような言い草だ。だが私はそうは思わない。死と向き合わないこと即ち不謹慎だ。現代における不謹慎という言葉は惨いことから目を逸らしたいがための妄言にすぎないのだ。

不謹慎な本―差別用語の基礎知識

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 だから私は動画を撮った人を評価したい。面白半分で撮ったのかもしれないがそんなことはどうでもいい。死に目を向けて恐ろしいと思う。この瞬間を記録しておかなければと思う。とても人間的だ。一方で、目の前で人が死のうとしているのに野次馬は不謹慎だからといってその場を立ち去る人がいる。誰が死のうが私には関係ないからと言って立ち去る人がいる。なんて人間味がないのだろうか。もっと人間が生きやすくなる世の中がいいなと感じた。今日はここまで。それでは。