かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

平成はまだ終わっていない

平成はまだ終わっていない

平成が終わった。物理的には。だが本質的に平成が終わるのはまだ先の話だ。この先時代が移ろうにつれて文化が変化し、平成の間に染み付いた風習が消滅したり変化したりしたとき、その時に始めてお前らは平成が終わったと実感するのだ。今の世の中は令和になったが平成そのものである。何も終わっちゃいない。何が「さようなら平成」だ。勝手に殺すな。平成は令和の中でこれからも生き続ける。昭和が平成の中で生き続けたように。だから私はあえてこう言いたい。「これからもよろしく平成」と。

せっかくの機会なので今日は平成で染み付いた悪しき風習の中で、特に令和で消滅させなければいけないものをいくつかピックアップして書いていきたい。平成を思い出しながら気軽に読み流してほしい。

 

平成 クリアファイル

平成 クリアファイル

 

 

KY

空気が読めない。略してKY。流行語にもなった。空気の読めない人間を嫌悪する風潮が社会に蔓延した。これは平成を象徴する出来事だろう。

確かに空気が読めない人間は場の空気を悪くする。空気が読めないこと自体に何も良いことはない。だが逆はどうだろうか?みんなが空気を読みすぎる。周りの顔色を窺いすぎて自分の主張を通さない。そうなると場の空気が悪くなるというより凝り固まってしまう。果たしてそこに発展はあるのだろうか。私はそう言いたい。空気を読めないのは悪いことだが、空気を読みすぎるのも同様に悪いことだ。もっと周りの顔色を気にせず自分の主張をしてもいいのではないか。令和ではKYという表現が死滅することを祈る。平成は凝り固まった時代だった。令和ではもっと柔らかく生きようではないか。

同調圧力

 

みんながやっているからお前もそうするべきだ。平成はそういう主張が目立った時代に感じた。昭和のほうがまだ自由だったのではないか。バブルの崩壊があった。景気が悪いのだから公務員になろう。なるべく大企業に就職しよう。みんなそうしているから。誰一人現状を打破しようとせずレールの上を歩いていた。それを同調圧力と感じるのは私だけだろうか。

平成後半はSNSの普及により同調圧力はさらに加速した。マイノリティーな意見はとことん排除され、マジョリディーが英雄とされる。意見は偏り、SNSは凶悪な武器となった。令和ではSNSがもっと高度なものになることを祈る。今のままの民度では社会が滅びる。同調は議論を殺す。平成は息苦しい時代だった。令和ではもっと自由に生きようではないか。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 

画一的な教育

「運動会で横一線に並んでみんなでゴール」これが平成を象徴するものになってしまった。人は競うことを辞めると退化する生き物だ。平成の教育現場はとにかく優劣を付けず、社会の歯車として無難な人材を育成するための監獄と化した。無駄に厳しい校則。それは本当に生徒のためにあるものだろうか。出る杭は打つ。これでは優秀な人材は育たない。中の中の人間すら生まれない。令和ではもっと個々の強みを生かす。そういう教育現場になることを祈る。画一化は退化だ。平成は無難な時代だった。令和ではもっと個性を生かそうではないか。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 

成功している人を叩く風潮

これも画一化や同調圧力と被る部分もあるが、叩くという表現がいかにも平成らしい。昭和では自分よりも下の存在を蔑むことが定番だった。だが平成では逆になった。自分よりも上の人間に対して文句を言う。嫉妬心でしかない。だが叩く。その変なプライドは平成に置いていけ。令和に持ち込むな。金持ちがなんだ。能力があるからなんだ。人間の価値はそんなところでは決まらない。必要なのは包容力だ。お前らは何も劣っていない。平成は弱気な時代だった。令和ではもっと自分に自信を持とうではないか。

 

ゆとり世代という括り

現在の20代くらいの世代は上からも下からもゆとり世代として揶揄されて生きていくことになるだろう。いわゆるゆとり世代は平成の象徴だ。画一化された教育で育ち、空気を読みつつ同調圧力に押しつぶされ、SNSでマイノリティーを叩き、成功している人間を叩き自己満足する。それがゆとり世代だ。

だがこのままでは一生揶揄されることになる。我々の世代が変わらなければ。我々の世代が変わらなければ平成は死なない。平成を殺すのは我々ゆとり世代だ。平成が死んだ時。きっとゆとり世代という括りはなくなるはずだ。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 これから令和最初のバイトに行く。気持ちを新たに。何も変わらなくてもそう思うことはできる。それではまた明日。