かえるん日記

ダートの2勝クラス・3勝クラスで生計を立てています。

忙しさの中に充実はあるか

 昨日のお詫び

昨日は忙しくて日記を書けなかった。申し訳ない。草野球に行ったり、競馬の予想回顧をしたり、研究室に行ったりしていた。あまり「忙しい」と思うことはないのだが、昨日はかなり忙しかった。だが楽しかったし、1日に一定量の満足感があった。世間一般ではこれを「充実している」と呼ぶらしい。

だが私はそうは思わない。心身は充実しているが、充実していない場所が1箇所ある。だ。頭が充実していない。私は昨日特に何も考えず目の前のタスクをこなしていた。もちろん楽しかったし、やりたいからやっているのだが、どうも脳の核を通していないで行動しているような気がした。気が付いたら1日が終わっているという感覚と言ったらわかりやすいだろうか。とにかくこの状態を私は充実と呼びたくないのである。

ヒマワリと稲の話

お前らはどうだろうか。似たような日々を何も考えずに繰り返し、「忙しい」と言い、だがそれでも「充実している」と言う。それは本当に「充実している」だろうか。

ヒマワリという花がある。漢字はあまり詳しくないのだが、あれは確か「日回り」という字を書いたはずだ。ヒマワリは朝花を咲かせ、太陽を追いかけて日が沈むと花を閉じる。そのことが由来になったらしい。お前らには日回り(ヒマワリ)が充実しているように見えるだろうか。

稲がある。稲は春に植えられると毎日成長を続け、やがて穂をつけ収穫される。そして立派な「米」となり我々の胃袋に収まるのだ。これこそ充実ではないか?毎日成長を続ける稲は充実している。1日1日変化し続ける稲は充実している。だから「米」は美味しいのだ。そう感じるのは私だけだろうか。

対してヒマワリはどうだろう。同じ1日を繰り返し変わり映えしない。夏が終わると萎れて終わりだ。稲のように美味しくもならない。ヒマワリの種は食用になるかもしれないが、私はとっとこハム太郎ではないのでそれを美味しく食べることはできない。これが充実していると言えるだろうか。

 

 

 

 お前らの日常は日回りだ。何も考えずに忙しさの中で生きてそれが充実だと言っている。だが結局忙しさの中に充実はないのだ。暇な時間にこの世の森羅万象や周りの人物について思いを巡らす。その考えの中で成長し、明日には違う姿となる。これが充実であると私は提唱したい。だから充実に必要なのは暇なのだ。今日はそれを言いたかった。

ここ3日間忙しかったが明日は暇だ。充実させたい。それではまた明日。