かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

87歳が池袋でプリウスに乗っている。この世は地獄だ。

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人生は結局運なのか

私がこの手の時事ネタを扱うと限りなく不謹慎になってしまうので避けてきたが、思うところがあったのでブログにしている。時折気分が悪くなるような表現があるかもしれないが、差支えなければ読んでほしい。まずはこの事故で亡くなられた方のご冥福を祈る。合掌。

結局人生何が起こるかわからないのだ。明日お前らの家族がプリウスにはねられるかもしれないし、お前らの婆さんがプリウスに乗って親子をはねるかもしれない(これは事前に回避できるだろうが)、あるいはお前ら自身がはねられて命を落とすかもしれない。何が起こるかわからないから何も起こらない今日を大切にしなきゃいけないのだ。こういうニュースを見ると人生は結局運なのかと思ってしまう。この話はこの事故から見えることの本質ではないが、大事な考え方だと思う。良いことをしているからといって長生きできるとは限らない。頑張っているからといって長生きできるとも限らない。

 

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発展の歴史は犠牲の歴史である

人間っていうのは愚かな生き物だから誰かが死なないと進歩しない。大津波で人が死んだから堤防を作りましょう。この交差点の事故で人が死んだからガートレールを作りましょう。そうやって文明は発展してきた。つまり発展の歴史は犠牲の歴史なのである。だから「死」は絶望ではなく希望であり、生きている人間は「死」をもって何かを学び発展させなければいけない。我々生きている人間はその使命を常に抱えながら生きているのだ。

今回の事故をどう発展に繋げるか。プリウスに乗ってる87歳を叩くことは誰にだって出来る。だが本質はそこじゃない。起こるべくして起こった事故に対して加害者を責めるべきではないと思うのだ。少なくともこの世の中にはプリウスに乗っている87歳がたくさんいるということが今回の事故でわかった。彼らを加害者にしないために我々が出来ることを考える。それが今回の事故を見聞して我々が身を置くべき本質だと思うのだ。叩くことではない。

生き地獄の世の中で

未だに高齢者の免許返納が義務付けられていないというのを今日知った。無知は恐ろしい。道を歩くことさえ地獄なのだ。我々はこの地獄を楽しく生きなければいけない。ここで「生きなければいけない」ってなんておかしい表現なのだろうかとふと思う。この世が地獄ならば生まれないこと即ち至高であり、死ぬこと即ち至高ではないか。そう思う。我々に「生」を強制することなんてできないのではないか?かなり不謹慎な発言なのでお前が死ねと思うかもしれないが、今日プリウスにはねられた親子も今後地獄を生きていく不幸と比べてみれば今日死んだことのほうが幸せだった可能性だってあるのだ。

 

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 以前あたかも自殺が絶対悪であるかのような記事を書いた。そんなことはないと思う。死ぬことが「良いこと」か「悪いこと」かはこの世が生き地獄である以上人間の我々に判断することは難しい命題だ。

だが絶対悪ではないということに対しては確固たる結論が出たわけで、よく小学校の保健の授業かなんかで言われる「あなたが生まれて来られる確率はとっても低くて、奇跡みたいなものです。だから自分が生きていることに感謝しなければいけません」というのも圧倒的に間違いであるということが今実証されたのである。だから自分が生きているということに感謝する必要なんて全くないのだ。死にたい時に死ねばいいし、生きたい時に生きればいい。ただ私にとってもお前らにとっても死んでほしくない人間というのは当然いるのだ。そのことを忘れてはいけない。

そして最後に、1つだけ確かなことが言える。私はこの地獄がかなり好きだ。