かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

きっとお前らは令和時代でも平成を生きる

エイプリルフール

4月になったが私の春休みはまだ続く。朝早く起きたが夕方のバイトまですることがなかったので競馬回顧をしながらツイッターなんかをぼんやり眺めていた。「エイプリルフールに元号を発表するな」というツイートを見かけた。逆じゃないか?「元号を発表するのにエイプリルフールなんかやるな」と私は言いたい。お前らはすぐ特殊を否定する。新元号発表なんて一生に2度か3度ぐらいしかないだろうからそっちを優先すべきだろう。エイプリルフールなんて毎年やってるんだから今年ぐらいやらなくてもいいはずだ。特殊を排除して日常に固執するから進歩しないのだ。

 

世界のエイプリルフール・ジョーク集 (中公新書ラクレ)

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 そんな話はいいとしてだ。新元号が発表された。「令和」だそうだ。万葉集から取ったそうだが私にはわからない。いずれにせよ違和感が完全に取れるまで数年は費やすだろう。令和をどう思うかはお前ら次第だ。かっこいいと思うやつもいるかもしれないし、ダサいと思うやつもいるかもしれない。ただ決まったもんは仕方ない。1か月後から平成じゃなくて令和となるのだ。ただそれだけのことだ。

令和時代に令和時代の生き方をするべきか

すごく抽象的な議題について抽象的な議論をしたい。我々は平成を生き抜いてきた人間だ。平成の生き方が体に染みついている。かつて昭和を生き抜いてきた人間に昭和の生き方が染みついていたように。だからお前らに令和は馴染まない。

よく「今どきの若者はダメだ」とか「古臭い昭和の考えだ」とかいうセリフを耳にする。特にマスコミはこういうセリフが大好きで、すぐに世代でひとくくりにして物事を語ってしまう。まあよくないことだろう。結局は人それぞれなんじゃないかと思う。「ゆとり世代」としてくくられてはたまったもんじゃないだろう。先入観というものは怖いものだ。人をダメにする。色眼鏡を外すのは難しいことだが、フラットな状態で人を見るというのは大切なことだ。

話を戻そう。だからきっとお前らも「古臭い平成の人間」としてくくられる日が来るだろう。「ゆとり世代が40代になって中間管理職に増えてきたのが日本の経済が衰退する原因だ」とかいう記事を書かれる日が来るのだ。生き辛い世の中がやってくる。だからそんな日のために令和時代の生き方を身につけるべきだという意見もあるだろう。だが私はそうは思わない。我々は令和時代においても平成を生きるべきだと思うし、平成を生きることしかできないと思う。平成だろうが令和だろうが本質は変わらない。もし変えてしまったら?令和に染まろうとしてしまったら?積み上げてきた平成の良さがなくなってしまうだろう。昭和があったから平成があるし、平成があったから令和がある。歴史とは積み重なってきたものだ。頂上に今がある。下を見たら怖くなって足がすくむ。古臭いことが悪いとは誰も言っていない。古臭いのは積み上げてきた証拠だ。古臭いことに誇りを持てばいい。

そして生き辛くなったら昔を思い出せばいい。騙し騙しで行けばいい。

 

 

だからきっとお前らは令和時代でも平成を生きる。あの頃は良かったと言いながら。それではまた明日。