かえるん日記

ダートは俺に任せろ!

日本の学校にも組分け帽子があればいい

社会で活躍する人材を育てるために学校があるという風潮

学校というのは社会で活躍できる人材を育てるための機関であるという発想が日本には深く根付いている。人生のメインが社会人としての生活であるということが前提として教育が行われているのだ。だが自分の人生においてどの時代の生活をメインに据えるかは個人の自由だと私は思うのだ。「学生生活をしっかり送っておかなければあとで困るのは自分だ」という意見をよく耳にする。ところが今の日本には学生時代に縛られた生活を強いられたがゆえに、社会人になってもレールに嵌った生活しかできない若者が多くいるのだ。それはどうなのかと私は言いたい。それなら学生時代を人生のメインに据えて散々楽しい生活をしたほうがいいじゃないか。後のことはどうなったって知らない。一生縛られたまま死んでいくなんて私は御免だ。

「社会にはいろんな人間がいるんだからそれに慣れるためにクラスにはいろんな人間がいたほうがいい」という風潮

確かに社会にはいろんな人間がいる。だからそれに慣れておくためになるべくいろんな種類の人間を同じクラス内に入れておこう。偏ったクラス編成はしない。これが日本の小中学校におけるクラス編成のやり方だ。むしろこのやり方に異論を唱えるやつはいないのだろうか?私だけだろうか?同じような性格の人間は同じクラスに入れる。なぜこういう発想が生まれないのだろうか?うちの子供がそのクラスにいるのはおかしいと言ってくる親がいるからだろうか?まあ言ってくるだろう。これを語りだすと結局は親が悪いという話になってしまうから今日はこれは考えないことにする。親が自分の子供を自分の思い通りに育てようとしすぎるという話はまた今度長々と語ろうじゃないか。

今日はとりあえず机上の空論としてでいい。クラス編成を組分け帽子にやらせてみようという話をしてみたいと思う。きっといじめもなくなるだろうし不登校もなくなるだろう。個人的には不登校が悪いことであるとは全く思っていないが、今日はそういうものの対策として特効薬となるであろう組分け帽子の考え方について触れていきたい。

 

 

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組分け帽子とは?

組分け帽子とは、映画「ハリー・ポッター」シリーズに出てくるものだ。1年生がどの寮に入って暮らすかを決めるために使われる。寮はグリフィンドール、レイヴンクロー、ハッフルパフ、スリザリンの4種類あり、それぞれの寮に適した性格を持ち合わせた生徒が組分け帽子によって配属されるのだ。これはどっちかというと企業の人事のやり方に近い。つまり適材適所である。ここでお前らは気付くだろうが、私は企業の人事的な方策を段階的に学校のクラス編成にも取り入れてみてはどうかという話をしたいのだ。ざっくり言えば。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 グリフィンドール

ここはカーストの高い人間を押し込めばいいだろう。スポーツも出来て活発で、それでいて真面目で正義感も強い。いわゆるクラスのムードメーカー的な存在だ。それは全部ここでいい。教師はとにかくこいつらが好きだ。まずはこいつらを取り入ろうとする。ただ他の組の奴らにとっては目の敵となる。こいつらは周りの陰キャたちの害になっていないと自分では思っているが、陰キャたちにとって一番の害はこいつらだ。それに教師は気付かない。

レイヴンクロー

ここにはとにかく勉強したいやつとぼっちを押し込めばいい。ぼっちは周りが集団でワイワイしているから寂しさを感じるのであって、周りがみんなぼっちなら寂しさは感じない。とにかく静かなクラスが1個あったほうがいいと私は思うのだ。これまで学校に居場所がなかった人間に居場所を与えることもできる。

ハッフルパフ

ここにはDQNを押し込め。こいつらに実は害はない。私はここが一番楽しいのではないかとすら思う。自由に青春を謳歌する。悪いことではない。人に迷惑をかけてはいけないことはそのうち学べばいい。これを学ぶのは難しいことだ。

スリザリン

ここに入るのは中性的なお前らだ。グリフィンドールに対してはヘコヘコしながらも引け目を感じ、レイヴンクローに対してはイキり、ハッフルパフに怯え。勉強もそこそこ、スポーツもそこそこ、適当に数人でつるんでボケっとレールの上を歩いている。とくに夢もない。だが自尊心とプライドだけは異常に高いから傷付きやすい。そんなお前らを隔離すれば全ての教育問題は丸く収まるのだ。

実はスリザリンの連中は今のクラス編成だと頑張ってグリフィンドールになろうとするか、諦めてレイヴンクローになるか、グレてハッフルパフになるかを強いられている。中性的という立場が存在しにくくなっているのだ。だから分ける必要がある。

まとめ

自分がどこに入るか考えてみてほしい。私のブログを読んでいる人間はスリザリンが多い気がする。スリザリンを否定するつもりは全くない。生き方は個人の自由だ。中途半端でも居心地が良ければそれでいい。このようなクラス編成がなされることは未来永劫ないと思う。ここで書かなかったデメリットもあるし、なにより親が納得しないだろう。親は自分の子供がグリフィンドールだと思っているし、実際にグリフィンドールになるように育ててきた。ただ手をかけすぎるとレイヴンクローになるし、手をかけなさすぎるとハッフルパフになるし、育て方を間違えるとスリザリンになる。グリフィンドールになれる人間ほんの一握りなのだ。そしてスリザリンの連中は「なぜ俺たちはグリフィンドールじゃないのだ」と口を揃える。だが本人も自分がスリザリンであることはわかっているはずだ。

ハリー・ポッターの寮決めの際に組分け帽子はグリフィンドールかスリザリンかで迷った。だが最終的にはハリー本人の意思でグリフィンドールとなった。結局どっちを選ぶかは自分次第だ。どういう学生生活を送りたいのか。どういう人生を送りたいのか。考えて答えが浮かばなければ今日を精一杯生きろ。そうすれば答えは見えてくる。それではまた明日。