かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

塾に行くことの是非を問う

私は塾に行ったことが無い

このブログを読んでいるやつに中学生や高校生がいるかは知ったこっちゃないが、塾について持論を述べたいと思う。だが別に私はここで塾のことを批判するつもりはないし、塾の営業妨害をしたいというわけでも当然ない。だから気軽に読んでほしい。いずれにせよこのブログの読者は学生や社会人の層がほとんどだろうから、今後お前らに子供が出来たとして塾に通わせるのか。それとも塾に通わせないのかの一つの指標としてこのブログを参考にしてもらっても構わない。

私は貧乏だから塾には行けなかった。塾に通ったことは1度もない。正確に言うと塾に行かなかったが表現としては正しいのかもしれない。理由は塾に行くメリットを感じなかったからだ。別に私は塾に行かなくてもテストの点数が良かったことを自慢したいわけじゃない。対価の話をしたいのだ。

 

東大ドクターが教える 塾に行かなくても勉強ができる子の習慣

東大ドクターが教える 塾に行かなくても勉強ができる子の習慣

 

 

塾に関する対価の話

 

お前らが塾に払った金と塾に通ったことで上がったテストの点数を比べてほしい。どう考えても釣り合わないと思わないか?それなら金を払わず自宅で一生懸命勉強したほうがいいんじゃないだろうか。友達付き合いで塾に行っていたというやつもいるかもしれない。くだらないと言いたい。塾に行かないと友達じゃなくなるような関係ならそいつは友達でもなんでもないだろう。しっかりと対価を考えて、この塾でこの料金なら自分の進学目標を達成するために行く必要があると感じるのならば塾に行けばいい。ただ漠然と塾に行かなければいけないから、成績を上げたいからと言って塾に行くのなら行かないほうがマシだ。

誰の金で塾に行くか

 

塾にはお前らの稼いだ金で行くわけじゃないだろう。親の金で行くはずだ。私は自分の学習意欲を考えたときに、塾に通いたいなんて親に申し訳なさ過ぎてとてもじゃないが言えないと思った。お前らには親に申し訳ないと思う気持ちがなかったのだろうか?塾に通ったにも関わらず大して成績も上がらずただヘラヘラとしている。その顔でどうやって親に顔向けするのだ。私にはわからない。親の良心を当たり前だと思うやつは周りから感謝されない人間になる。当たり前と思うな。親のスネはいつ齧れなくなるかわからないのだ。感謝を忘れるな。

 

感謝の習慣が、いい人生をつくる

感謝の習慣が、いい人生をつくる

 

 親に金を出させるくらいなら自分で勉強したほうがいい。もっと多くの人間がそういう発想に至ってもおかしくないと思うのだ。あまりにも塾に行っている人間の割合が高すぎる。塾を絶対視するのは危険だと私は言いたい。大学受験においても最後に必要となるのは自分で学習する力だと私は思う。塾に頼ってばかりで大学受験まで来てしまうと、自分で学習する力が身についていない分不利になってしまうのだ。これを踏まえたとしても塾に行くメリットが大きいと思うならば塾に行けばいい。塾に行くことは決して悪いことではない。対価をしっかり考え、同時に自分で学習する力を身に着けていく。適度に塾を活用しながらやっていくのが結局は一番いいのだろう。今は塾の話をしたが、これは家庭教師でも進〇ゼミでも同じことだ。しっかり対価を考え、自分の金じゃないということを認識すること。それが今の中高生に欠けている部分だと私は提唱したい。

私がもし塾に行っていたら今よりもいい大学に入れたかもしれない。それはわからない。だが私が塾に行かずに浮いた金は確実に手元に残るのだ。金が全てだ。日常に潜む無駄は無くせ。塾に行っている暇があったらもっと今日という日を有効に使えるはずだ。様々な選択肢が生まれる。塾に行かなきゃ勉強できないというのは甘えだ。そういうやつは塾に行ってもあまり効果が無い。最後は結局自分の頑張りで決まる。少々長くなってしまった。それではまた明日。