ネット社会
現代のネット社会に対して警鐘を鳴らす老害ジャーナリストが増えてきた。SNSは危険だ。SNSをやると偏った知識ばかりついてしまう。そういった意見に対して嫌悪感を抱くやつも多いだろう。確かにSNSはいろんな危険性をはらんでいる。見ず知らずの人が画面1つを介して繋がるというのは人類の歴史上これまでなかった事例だ。このネット社会の顛末がどこに向かうかは誰にもわからない。人類を破滅へといざなうかもしれない。もしかするとこのネット社会に人類は適応し、また進化を遂げるのかもしれない。そんなことは誰にもわからない。私が今から書くのは一つのシナリオだ。現代のネット社会ではこういうことが起こってもおかしくないという架空の話だ。日本人は日本が平和だと錯覚している。だがネットという見えない敵を相手にした時、戦う術を知っているやつは誰もいないのだ。敵は画面の向こう側にいる。そして画面の向こう側はお前らが思っているよりずっと近いところにあるのだ。
SNSカウンセリング入門: LINEによるいじめ・自殺予防相談の実際
- 作者: 杉原保史,宮田智基
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2018/05/30
- メディア: 単行本
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SNSの加速性
今回はわかりやすい具体例を出してシナリオを書いていく。最近ハロウィンになると渋谷に若者が押し寄せる。これを題材にしたい。渋谷ハロウィンに行った若者は毎年大きなバッシングを浴びる。もちろんSNSは盛り上がる。お前らがもし渋谷ハロウィンに行けば悪者扱いされるだろう。渋谷ハロウィンを批判するツイートは軒並み1万いいねを超える。まるで英雄扱いだ。この大きなバッシングの波がSNSの暴走を加速させ渋谷Xデーへと繋がっていく。ただの妄想だとお前らは言うかもしれない。だがSNSとは常に加速するという特性を持っている。それも指数関数的に加速するのだ。意見は芋づる式に増大していく。そして最高に偏った意見が形成されるのだ。それに賛同するやつは英雄。批判するやつは悪童と化す。
渋谷Xデー
その日は突然訪れるだろう。学生A(19)は戦闘員の仮装をして渋谷に向かっていた。Aは数か月前、インスタグラムにある動画を投稿していた。身内ウケを狙ったその動画は瞬く間に広がった。炎上だ。Aは心を痛めた。もうAはSNSに戻ることはできない。現代社会においてSNSに居場所がないということは孤独だ。自分にはもう何も残されていないという感覚に陥るだろう。その苦痛を想像するのは難しいことではない。躁うつ状態に陥った彼は自分がSNSへ復帰するために英雄になることを決意した。SNSの総意に相反するやつらを排除するのだ。そうすれば英雄になることができる。Aは渋谷に着くと人波をかき分けてスクランブル交差点のど真ん中へとたどり着いた。そして肩からかけていたミニガン手に取った。どうせ仮装のための偽物だろう。周りの人々はそう思っていたに違いない。Aの乱射は始まった。ミニガンの連射速度はものすごい。一瞬にして数千人を殺すことができるだろう。そしてAは最後に自分を撃ち殺して英雄になった。テロでもなんでもない。SNSが招いた犠牲だ。
極端なシナリオなのでピンとこないかもしれない。だがお前らが良かれと思って書いたそのひとことが、良かれと思って投稿したその画像や動画が、殺人鬼を生み出すかもしれない。それがSNSだ。だからどうするか?不用意に自分の意見を書いてはいけない。きっと老害ジャーナリストはそう言うだろう。だが私の意見は違う。むしろ真逆だ。どんどん自分の意見を書き込めばいい。周りに流されるな。批判を恐れるな。炎上したからといって謝罪するな。自分の意見を書き込んだのならその謝罪は嘘だ。みんながそうすればSNSの本質が変わる。誰もが自由に自分の言いたいことを言えるコンテンツとなるのだ。そうすれば殺人鬼が生まれることはない。私が今後ブログを書いていくうえできっと批判されることがあるだろう。炎上することもあるかもしれない。あなたのその文章は不快ですと言われるかもしれない。知るかそんなの。嫌なら読むな。
高松宮記念の出走馬が確定した。あの馬が抽選を通って予想が固まってきた。それではまた明日。