かえるん日記

当たった時は謙虚に。外した時は冷静に。

被災者の心を支えた心霊現象

3.11にブログを書く

今日ブログを書くなら触れなければいけないと思った。でも書いていいものだろうか?東日本大震災の惨状はメディアで散々取り上げられてきた。被災者の中には思い出したくないからやめてくれという人もいるかもしれない。だが風化させてはいけないと思うのだ。8年が経った。まだ傷は癒えていない。だからブログを書く。何を書けばいいか?いろいろ考えた。だがすぐに決まった。私のブログならこの題材しかないだろう。震災後被災地では様々な心霊現象が報告されている。それも異常な数だ。その中には心温まるエピソードも数多くある。正直こういう話題は敬遠する人が多いだろう。実際にメディアもこの手の話題を好んでは取り上げない。不謹慎だと言う人もいるくらいだ。だが違うということをわかってもらいたい。心霊現象がどれほど被災者の心の支えになったのか。お前らは知らないだろう。だからこのブログを書く。何も言わずにとりあえず読んでほしい。

 

kaerun4451.hateblo.jp

 死霊が生者の前に現れるということ

心霊現象を体験しているのは被災者や被災地にゆかりのある人々がほとんどだ。ボランティア等で被災地に足を運んだ人が心霊現象に出くわしたという話は実はあまり聞かない。霊感がある人なら別だろうが。

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身近にいた人が突然死んだとき、その人が目の前に現れるというのはよく耳にする話だ。霊は必ず身近な人に会いに行く。主な理由は「死の確認」だ。タクシーの運転手が被災地で幽霊を乗せたとき、行き先を聞くと「あの、私、死んだんでしょうか?」と聞かれたという話を読んだことがある。人は自分の死に納得していないときに霊となるのだ。霊は自分の死に納得するまで彷徨い続ける。自分の死を納得するためには身近な人に会う必要がある。身近な人の悲しむ姿を見て自分の死を理解し、納得するのだ。自分の死を理解した霊はその人に「もう悲しまないで」と伝えるはずだ。そうじゃなくても何らかのメッセージを伝えるに違いない。そしてその霊はもう2度と姿を見せることはない。「死の確認」という目的を果たしたからだ。霊は目的なしにこの世に留まることはない。

生者が死霊を見るということ

生者もまた身近な人の突然の死に納得できていないはずだ。そして孤独と不安に苛まれる。そんなときに死者が目の前に現れる。何らかのアクションを起こして消える。生者はその時に感じるのだ。死者が自分を見守ってくれていると。これがどれほど被災者の心の支えになるだろうか。孤独感に苛まれることもなくなるだろう。不安感に苛まれることもなくなるだろう。生きている我々がどれだけ身近な人を亡くした被災者をサポートしようとしても、死者のサポートには叶わないのだ。今日はこれを伝えたかった。お前らは心霊現象をすぐしいたげようとする。嫌悪感を抱く人も多いだろう。だが実際に身近な人の死に直面したとき、不安定な精神状態に陥ったとき、霊がお前らを救うことがあるかもしれない。科学的に根拠がないとかそういうのは聞き飽きた。大切なのは心だ。人の心に寄り添うことが復興への一番の近道だと私は思う。科学ではない。

最後に

 

明確な意見や提案があるようなブログではないが書きたかった。震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りする。だが8年が経った今でも身近な人に会えない霊もいるかもしれない。未だに彷徨い続ける霊がいるかもしれない。だから風化させてはいけないのだ。だから来年のこの日もブログを書きたい。生きていることに感謝して。それではまた明日。